【調査ノート】福岡市糸島市二丈吉井 神亀二年(七二五)に石川県から勧請された 「吉井白山宮」に右三つ巴紋

右三つ巴紋
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宇佐神宮と違う向きの三つ巴紋「右三つ巴紋」を国東半島の北端で見つけて以来、なぜ向きが違う三つ巴紋があるのかと調べています。

【宇佐市下庄】貴船神社の神楽奉納で右三つ巴紋を見つけた。
宇佐市貴船神社(下庄)の右三つ巴紋

今回は現地を訪れた記録ではありません。

公開されている画像を確認していたところ、右三つ巴紋らしき意匠が見えたため、記録として残しておきます。

目次

福岡市糸島市二丈吉井 吉井白山宮のGoogleMapの画像で右三つ巴紋を確認

「吉井白山宮」でも右三つ巴紋が見つかりました。

右三つ巴紋が確認できた箇所

福岡県神社誌参考

この吉井白山宮は、伝承によると、神亀2年(725年)に加賀国(今の石川県)の白山比咩神社から神様をお迎えしたのが始まりだったといわれているようです。

古い記録によれば、かつて吉井刑部少輔という人物がこの神社に深く仕えていたという記述が残っています。
また、江戸時代に対馬藩(厳原藩)の領地だった頃には、藩主をはじめ近隣の武士、そして周辺8ヶ村の総鎮守として、格別の崇敬を集めていたようです。

藩主が参拝する際には、正式な作法に則った音楽が奏でられるなど、格式高い儀式が定例となっていたことがうかがえます。
神社が所有する田畑も多かったようで、10月19日の大祭で見られる「古代の行列」は、当時の厳粛な神幸式の姿を今に伝える貴重なものだそうです。
その後、明治5年には「村社」として定められたそうです。」

メモ① 浮嶽神社の秋祭り

福岡県神社誌で伝えられている秋祭りは、浮嶽神社やこのエリアの白山神社と合同で行われている神幸祭のようです。

盛大なお祭りです。

浮嶽神社も右三つ巴紋が刻まれた神社です。

二丈の福吉校区では12日、白山神社(福井)、浮嶽神社(吉井上)、白山宮神社(吉井下)、白山宮神社(鹿家)の4社で神幸祭が行われた。このうち、白山神社では、福井・大入・佐波の3行政区から行列装束に身を包んだ若者ら約50人が参加。はさみ箱や羽熊(はぐま)を持ち、大名行列を模した一行が、お神輿を先導するように進んだ。黄金色の稲穂が揺れる田園のあぜ道に威勢のいいかけ声が響き、福井浜の御仮屋(御旅所)に向かった。

糸島新聞社ウェブサイトから引用

メモ② 女神像?石仏?の頭だけが残されていた

白山神社の主祭神「菊理媛」と関わるものか不明ですが、GoogleMapの投稿に女神像や石仏の頭部のみが残されているようでした。

明治時代の神仏習合や廃仏毀釈の痕跡なのか。

菊理媛は、国東半島の北端で見つけた右三つ巴紋が残っていた神社「伊美崎社」の御祭神でもあります。

吉井白山宮の場所

〒819-1641 福岡県糸島市二丈吉井904

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