2021年春に知り合いゼロで移住してから、時間が開くと史跡巡りをしていた。
とにかく全てが新鮮に見えた。
苔むした石灯籠に、遠くから見て緑の塊に見えた鎮守の森も、みんな。
便利なGoogleMapを見てみると、周りは神社だらけだった。
6月の晴れ間に海沿いの沓川神社へ

この日はよく歩いた覚えがある。
線路を越えて神社に向かっていると、野に咲く雑草の鼻、それに群がる虫たちも鮮明に映った。

しばらく歩いていくと民家と民家の間に大きな鳥居を見つけた。

鳥居の先には小さな森。
それに二本の石柱が珍しいように思った。

この記事を書いている2025年の終わりになって、この二本の石柱が「標柱(しめばしら)」であると知る。

二本の石柱を越えてさらに奥へ。

また二本の石柱があった。

社殿の横の奥を見ると、堤防が見えた。
すぐ近くが海であることは匂いと風で分かった。

海の側の神社は思ったよりも広く、小さめな社が他にも見えた。

こちらは拝殿?神楽殿?
後にこの神社で奉納される神楽を見に行った時は、ここで舞手が神楽を舞っていた覚えがある。

沓川神社 由緒書き

沓川神社 社格 元郷社(明治六年七月九日確定)
鎮座 明徳三年八月十五日(西暦一、三九二年)
祭神
春日大明神 天兒屋根命、武御雷命、経津主命
賀茂大明神 加茂別雷神、伊邪那岐尊
住吉社 表筒之男神、中筒之男神、底筒之男神
金比羅神社 大物主神、崇徳天皇
(大正十三年六月十六日、字檜木より合祀)境内社
蛭子神社 事代主神
厳島神社 市杵島姫神
由緒
本社は住吉より由緒正しく霊験効著なりしを以って 旧藩時代は小倉領主の崇敬厚く営繕はすべて郡費って弁らりたり。古文書に云く雲の上禁裏 御酒を作り奉りし者松尾勘解由は相伝の人なれ共長橋の局の禍によりて流人となり豊前の国上毛郡縄江の浦にひかりさしゝを伝々
同一書に云ふ、讃岐の国八島の浦、居王灘やひめ島豊前灘に行き迷ひゆられける舟の哀れさに磯辺を見れば、光さししを神光かと思ひたどり行てみれば大石あり、暫く此の石のほとりにて夜を明か思ひ寝をす、ふしぎや加茂大明神、春日大明神 の霊夢により鎮祭せり此の大石を後、光広石と名付けたり、明徳三年八月十五日なりき
元禄二年四月神社改帳
喜永三年九月三毛門手永諸調などに記録あり。
倉城大略志に沓川村に至る浜辺に住吉の神ありというが見える。
由緒書きの内容が難しいので、分かりやすくリライトすると、以下のようになりました。
この神社は、有名な「住吉大社」よりも歴史が古く、願いをかなえる力がとても強いことで知られていました。
そのため、江戸時代(小倉藩の時代)にはお殿様からとても大切にされていました。神社の建物を直したり管理したりする費用は、すべて地域のお金(公費)でまかなわれていたほどです。
伝説その1:京都から来た不思議な人物
古い記録には、こんなお話が残っています。
昔々、京都の御所で天皇にお供えするお酒を造っていた松尾勘解由(まつおのかげゆ)という人がいました。彼は代々伝わるお酒造りの名人でしたが、「長橋の局(ながはしのつぼね)」という女性のトラブルに巻き込まれ、罪人として遠くへ流されてしまいました。
そうして流れ着いたのが、今の福岡県(豊前の国)にある「縄江(なわえ)」の海岸でした。そこで彼は、不思議な光が差し込むのを見たといいます。
伝説その2:海に浮かぶ光る石
また、別の記録にはこう書かれています。
ある時、香川県(讃岐)の八島から海を渡っていた船が、嵐の中で迷ってしまいました。激しい波に揺られ、「もうダメか」と悲しんでいた時、ふと海岸の方を見ると、まばゆい光が差していました。
「神様の光かもしれない」と思い、その光を頼りにたどり着いてみると、そこには大きな石がありました。
船に乗っていた人は、ひとまずその石のそばで夜を明かそうと眠りにつきました。すると夢の中に「加茂大明神」と「春日大明神」という二人の神様が現れたのです。
この不思議な出来事をきっかけに、神様をまつる儀式が行われました。のちに、この大きな石は「光広石(みつひろいし)」と名付けられたそうです。それは、1392年(明徳3年)8月15日のことでした。
元禄二年四月神社改帳
沓川神社の場所
〒828-0023 福岡県豊前市沓川232
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