佐賀県武雄市 御船山楽園内「五百羅漢」へ

佐賀県武雄市 御船山楽園「五百羅漢」へ
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2021年に訪れていた御船山楽園「五百羅漢」

過去の写真を整理しているうちに、目に止まった旅の写真

どこで撮ったかといえば、佐賀県武雄市 御船山楽園内にある「五百羅漢」だ。

御船山楽園は広大だった

佐賀県武雄市 御船山楽園

御船山山麓にある武雄領主鍋島茂義の別邸跡(造園は1845年)で、15万坪もの広さを持つ大庭園は、平成22年2月に国登録記念物に登録されました。

武雄市観光協会ウェブサイトから引用

御船山は武雄市を代表する山、その麓には広大な庭園や、温泉宿泊施設「御船山楽園ホテル」もある。

チームラボとのコラボや、サウナも人気の施設としても知られる。

庭園をハイキング気分で歩いた先に「五百羅漢」はあった

佐賀県武雄市 御船山楽園「五百羅漢」へ
佐賀県武雄市 御船山楽園「五百羅漢」へ
佐賀県武雄市 御船山楽園「五百羅漢」へ

史蹟武雄五百羅漢由来
五百羅漢は、聖武天皇の御代天平十一年(今 から約一千二百五十年前) 名僧行基が済世利民の大願を発し、菩薩行実践のため六十余州巡錫の途中、武雄御船山渋谷の三つの洞窟に五百の仏体を刻み第三洞窟のこの岩に御光を有する三仏体を刻生済度の霊場を開かれたものです。
五百の仏体はそれぞれ違った御姿でありますが「人身本来の姿なき」との程迦の御教えを示したものでありましよう。
この五百羅漢は釋迦の御技を名僧行基が一心真心こめて建立された御仏でありますために病気、願い事、緑談など万事叶うと伝えられています。また洞窟の御水は薬水として昔から多くの人に頂されてきました。この尊き御霊跡、羅漢草者を奉祀致しましてから一千二百五十余年の間、篤信者の方々より香華供が続けられて今日に至っており ます。
五百羅漢管主 中野勝玉

大きな岩窟のくぼみに石仏が並んでいた。

GoogleMapで見たら、もう少し下に、もっと石仏が並んだ場所があったようだ。

それにしても、聖武天皇ということは奈良時代からの霊場とは歴史が深い。

佐賀県武雄市 御船山楽園「五百羅漢」へ
佐賀県武雄市 御船山楽園「五百羅漢」へ

石仏が安置されたお堂と稲荷神社も並んでいいた。

神仏習合の名残のようだ。

この時はあまり時間がなかったので、細かく記録は残せていなかった。

次行く時があればもっと詳細に撮りたい。

五百羅漢の場所

〒843-0022 佐賀県武雄市武雄町武雄4100−1

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この記事を書いた人

2021年より豊前市を拠点に活動。
写真と文章で表現と記録の間のようなこと。北部九州を中心に、「山の中の『海』」「宇佐神宮と逆向きの三つ巴紋」など、気づかれにくい痕跡を辿っています。ローカルメディア「豊のくにあと」 と古民家図書館TSUDURIを運営。たまにセミナーやイベント。

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