宇佐神宮や多くの八幡神社と違う向きの三つ巴紋「右三つ巴紋」を国東半島の北端で見つけて以来、なぜ向きが違う三つ巴紋があるのかと調べています。

歴史の専門家に尋ねても「さぁ、考えたこともありませんね」との回答でしたが、自力で調べていくうちに、やはり意味があるのでは?と思いを強くしています。

右三つ巴紋の神社を沢山調べたり、分布図でも作ればもっと色々なことが分かるんじゃないかと調べ続けているのですが、すぐに全てに出向くのはなかなか難しい状態です。
すぐに行けなくても「いつか見に行きたい気になる神社」として、調べたことをメモ代わりに記事化しています。
福岡市糸島市二丈吉井 吉井白山宮のGoogleMapの画像で右三つ巴紋を確認
以前、右三つ巴紋がある神社を探した時、福岡市以西でよく見つかる気がしていました。
そこで古墳があるエリアや、このメディアで追っているキーワードとつながる神社を調べていたら、右三つ巴紋がある神社を確認できました。


この「吉井白山宮」でも右三つ巴紋が見つかりました。
このメディアで追っているのは、古代の古層の信仰です。
九州北部が大和朝廷の勢力下になる前、別の大きな勢力があり、その痕跡を追っています。
福岡県神社誌参考
この吉井白山宮は、伝承によると、神亀2年(725年)に加賀国(今の石川県)の白山比咩神社から神様をお迎えしたのが始まりだったといわれているようです。
古い記録によれば、かつて吉井刑部少輔という人物がこの神社に深く仕えていたという記述も残っています。
また、江戸時代に対馬藩(厳原藩)の領地だった頃には、藩主をはじめ近隣の武士、そして周辺8ヶ村の総鎮守として、格別の崇敬を集めていたようです。
藩主が参拝する際には、正式な作法に則った音楽が奏でられるなど、非常に格式高い儀式が定例となっていたことがうかがえます。
神社が所有する田畑も多かったようで、10月19日の大祭で見られる「古代の行列」は、当時の厳粛な神幸式の姿を今に伝える貴重なものだそうです。
その後、明治5年には「村社」として定められました。
メモ① 浮嶽神社の秋祭り
福岡県神社誌で伝えられている秋祭りは、浮嶽神社やこのエリアの白山神社と合同で行われている神幸祭のようです。
盛大なお祭りです。


浮嶽神社も右三つ巴紋が刻まれた神社です。

二丈の福吉校区では12日、白山神社(福井)、浮嶽神社(吉井上)、白山宮神社(吉井下)、白山宮神社(鹿家)の4社で神幸祭が行われた。このうち、白山神社では、福井・大入・佐波の3行政区から行列装束に身を包んだ若者ら約50人が参加。はさみ箱や羽熊(はぐま)を持ち、大名行列を模した一行が、お神輿を先導するように進んだ。黄金色の稲穂が揺れる田園のあぜ道に威勢のいいかけ声が響き、福井浜の御仮屋(御旅所)に向かった。
糸島新聞社ウェブサイトから引用
メモ② 女神像?石仏?の頭だけが残されていた
白山神社の主祭神「菊理媛」と関わるものでしょうか。
GoogleMapの投稿に女神像または石仏の頭部のみが残されているようでした。
明治時代の廃仏毀釈の影響でしょうか。
菊理媛は、国東半島の北端で見つけた右三つ巴紋が残っていた神社「伊美崎社」の御祭神でもあります。

吉井白山宮の場所
〒819-1641 福岡県糸島市二丈吉井904
なぜ右三つ巴を追っているのか? これまでの足跡はこちら
メモ代わりに残している「調査ノート」の記事ですが、もしも「右三つ巴紋とは何?」と興味をお持ちいただけたなら、以下の記事も併せてご覧ください。
右三つ巴紋と左三つ巴紋は何が違う?↓

右三つ巴紋の記事まとめ↓






