筑紫君磐井と「石・丹」:北部九州に残るいくつかの点を追う

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古代史を調べていると、ある人物を入口にして、別の場所に残るものが気になってくることがあります。

筑紫君磐井も、私にとってはそんな人物のひとりです。

527年頃、ヤマト王権と戦ったとされる筑紫君磐井。

彼については「日本書紀」や「古事記」に記録が残されていますが、その人物像や勢力の実態については、現在もさまざまな見方があります。

私が気になったのは、磐井そのものの人物像を決めることではありません。

「磐井」という名前に使われる「石」という文字。

北部九州で見られる「丹」という地名や神社。

水や龍神と結びつく信仰。

右三つ巴紋。

そして、豊前神楽に残る「みさき」や鬼の表現。

これらを調べていくと、いくつか興味深い点が見えてきました。

それぞれに直接のつながりがあるのかは、まだ分かりません。

今回は、その点をひとつずつ置いてみます。

目次

「磐井」という名前

筑紫君磐井は、6世紀初頭にヤマト王権と衝突した筑紫地方の有力者です。

その名は、「日本書紀」では「磐井」、「古事記」では「石井」と表記されています。

「磐」と「石」。

どちらも岩や石を表す言葉で気になりました。

もしかすると鉱物資源との関係があるのではないか。

もちろん簡単には判断できません。

異なる伝承や表記の違いによるものなのか、それとも別の意味があるのか。

ただ、「石」という文字が残されていることは気になります。

「丹」という古代の資源

もうひとつ気になったのが、「丹」です。

古代の「丹」は、朱色の顔料などに使われた鉱物を指す言葉として知られています。

朱は古代の祭祀や葬送などにも用いられ、貴重なものとして扱われていました。

北部九州には、「丹生」という名前を持つ神社や地名があります。

私が調べてきた豊前周辺にも、丹生神社があります。

ただし、そこに残る「丹」が、すべて鉱物資源や古代の朱の生産と直接結びつくとは限りません。

同じ「丹」という言葉でも、成立した時代や背景はそれぞれ違う可能性があります。

それでも、「丹」という名前がどこに残っているのかを見ていくと、気になる場所が出てきます。

丹と水の神

奈良県の丹生川上神社は、水との関わりが深い神社として知られています。

丹生という名前と、水神・龍神との組み合わせを見ていると、

「丹」と「水」には、何か関係があるのだろうか。

そんな疑問が生まれます。

もちろん、丹生という名前だけから、古代の鉱物生産と水神信仰がひとつの体系だったと判断することはできません。

ただ、名前と祭神、場所を並べてみると、調べてみたくなる組み合わせです。

「丹生」と「右三つ巴」

私が気になったもうひとつの点が、社紋です。

丹生川上神社には三つ巴紋が見られます。

また、大分県中津市の丹生神社貴船宮にも、右三つ巴紋があります。

三つ巴紋そのものは全国の神社などで広く使われている紋です。

そのため、

「丹生だから右三つ巴につながる」

と考えることはできません。

ただ、

丹生という名前
+ 貴船
+ 水に関わる神
+ 三つ巴紋

という組み合わせが、別々の場所に見えてくる。

私はこういう小さな一致が気になります。

それが偶然なのか、何らかの歴史的背景があるのか。

今のところ、そこまでは分かりません。

豊前に残る貴船神社と「海」

これまで豊前周辺を歩いてきて、もうひとつ気になっているのが貴船神社です。

貴船は水の神と結びつく名前として知られています。

一方で、豊前周辺には「海神社」という名前の神社もあります。

山の中に「海」に関する名前が残っている場所もありました。

こうした場所を見ていると、

「山と海は、昔から別々の世界だったのだろうか」

という疑問が出てきます。

古代の海上交通や河川交通を考えれば、山の資源と海の交易が結びつくことは十分に考えられます。

安曇氏など、海上交通との関わりが語られる氏族もいます。

ただ、豊前の貴船神社や海神社を、そのまま安曇氏の活動の痕跡とするには、まだ資料が足りません。

ここも、今は「気になる点」として置いておきたいと思います。

神籠石を見て

福岡県行橋市周辺には、神籠石と呼ばれる遺構があります。

神籠石については、その性格や築造時期などについてさまざまな研究があります。

こうした大規模な遺構を見ていると、

「当時、この地域にはどのような社会があったのだろう」

と考えたくなります。

ただ、神籠石と筑紫君磐井を直接結びつける資料があるわけではありません。

また、記紀に書かれていないことだけを理由に、

「ヤマトが記録から消した」と考えることもできません。

書かれたものだけではなく、書かれていないものにも目を向けたい。

そのくらいの距離から見ていくほうが、今の私にはしっくりきます。

豊前神楽に残る「みさき」

磐井を調べているうちに、豊前神楽にも目が向きました。

豊前神楽には「駈仙(みさき)」と呼ばれる演目があります。

ここでいう「みさき」は、一般的な「岬」とは異なり、神楽の中では特別な意味を持つ言葉として扱われています。

神楽の演目や所作、道具には、それぞれ長い時間の中で受け継がれてきたものがあります。

だから私は、神楽を単なる現在の祭りとしてではなく、「この地域では、何をどのように演じ続けてきたのだろう」という視点でも見るようになりました。

「鬼」の伝承

豊前には、鬼にまつわる伝承もあります。

「鬼の石段」のように、鬼が登場し、最後には追われたり封じられたりする物語も残っています。

こうした鬼の伝承と磐井を直接結びつける資料は、今のところ見つかっていません。

「敗者の記憶が鬼として残った」と考えることもできますが、それも現段階ではひとつの解釈です。

鬼の伝承には、修験道や山岳信仰など、別の背景がある可能性もあります。

だからこそ、鬼そのものをひとつの「点」として見ています。

磐井から、いくつもの点へ

ここまで見てきたものを並べると、

  • 筑紫君磐井
  • 「磐」「石」という名前
  • 丹という言葉
  • 丹生という地名や神社
  • 水神・龍神
  • 貴船神社
  • 三つ巴紋
  • 海神社
  • 海上交通
  • 豊前神楽
  • 「みさき」
  • 鬼の伝承

いくつもの点があります。

最初は、これらを一本の線につなげようとしていました。

磐井は丹や鉱物資源に関わっていたのではないか。

海上交通を担う人々と結びついていたのではないか。

水神や龍神への信仰と関係していたのではないか。

そして、磐井の敗北後、その記憶が神楽や鬼の伝承として残ったのではないか。

以前の私は、そんなふうに考えていました。

けれど、今は少し違う見方をしています。

それぞれの点には、それぞれの歴史があります。

似ているからといって、同じ起源とは限りません。

それでも、離れた場所を歩いていると、何度も似たものに出会うことがあります。

そのとき、「なぜ、ここにもあるんだろう」と思う。

私にとっては、その疑問が調べるきっかけになります。

おわりに

筑紫君磐井について調べ始めたことから、私は「石」「丹」「貴船」「水」「海」「三つ巴」「神楽」「鬼」と、いくつものものを見てきました。

これらが、ひとつの歴史的なネットワークを示しているのか。

それとも、それぞれが別の時代に生まれ、後から似た形を持つようになったのか。

今のところ、私には分かりません。

ただ、北部九州を歩いていると、気になる点がいくつも見つかります。

だから、ひとつずつ記録しておく。

いつか別の場所で、また同じものを見つけるかもしれない。

そのとき、以前置いた点とつながるかもしれない。

あるいは、つながらないかもしれない。

今は、そのまま残しておきたいと思います。

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この記事を書いた人

ぶぜんノートのアバター ぶぜんノート フォトライター

豊のくにあと運営者。
福岡県と大分県の県境エリアで活動しているフォトライターです。
活動エリアは、北九州から東〜中津〜宇佐〜国東半島の北西部。
地域の古い痕跡を歩いて探し、歴史サイト「豊のくにあと」を運営しています。

古民家図書館TSUDURI主宰。
本や地域、人が出会う場所。

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