宇佐神宮や多くの八幡神社と違う向きの三つ巴紋「右三つ巴紋」を国東半島の北端で見つけて以来、なぜ向きが違う三つ巴紋があるのかと調べています。

歴史の専門家に尋ねても「さぁ、考えたこともありませんね」との回答でしたが、自力で調べていくうちに、やはり意味があるのでは?と思いを強くしています。

右三つ巴紋の神社を沢山調べたり、分布図でも作ればもっと色々なことが分かるんじゃないかと調べ続けているのですが、すぐに全てに出向くのはなかなか難しい状態です。
すぐに行けなくても「いつか見に行きたい気になる神社」として、調べたことをメモ代わりに記事化しています。
福岡市西区草場 白木神社のGoogleMapの画像で右三つ巴紋を確認
以前、右三つ巴紋がある神社を探した時、福岡市以西でよく見つかる気がしていました。
そこでGoogleMapで、古い時代の確実な痕跡である古墳と共にある神社を探してみたところ、右三つ巴紋を確認できました。

その神社に隣接する(古墳の上に立っている?)若八幡宮古墳について調べていたところ、奈良時代に山城があったという高祖山(たかすやま)の情報を見つけました。
そして高祖山と同じく山城があった福岡市西区草場の白木神社を調べてみると、GoogleMapの画像で右三つ巴紋を確認できました。

このメディアで追っているのは、古代の古層の信仰です。
九州北部が大和朝廷の勢力下になる前、別の大きな勢力があり、その痕跡を追っています。
メモ①:近くに山城の跡「柑子岳城址(こうしだけじょうし)」
柑子岳城址(こうしだけじょうし)
草場地区にある標高254mの柑子岳(こうしだけ)にあったとされる山城跡。豊後(大分県)の大友宗麟が、その領地である志摩郡一帯を守るために、永禄年間(1558~1570年) に改築し、一族の臼杵新助を配して城を守らせました。恰土(いと)の高祖城(たかすじょう)と共に中世に旧糸島郡を二分する山城であり、柑子岳城代臼杵氏と高祖山城主原田氏による再三の合戦がありました。
柑子岳は、現在はハイキングコースが整備され福岡市内を一望できる展望台があります。特にここから見る初日の出は絶景です。
「西区の宝」から引用
「西区の宝」を確認すると、「永禄年間に改築し」とあるのに、それよりも以前に山城が存在したと考えられます。
一方、柑子岳城址と共に旧糸島郡を二分した高祖山の山城「怡土城跡」についても調べてみました。
怡土城跡
古代の歴史書にも記された巨大な山城
糸島市と福岡市との境にある高祖山の西斜面一帯に築かれた古代山城で、高祖山の急斜面から平地部にかけて「たすき」状に城郭を形成しており、中国式山城の築城法が採用されています。この背後には遣唐使として2度にわたって中国に渡海し、特に兵法に長じた吉備真備の影響がうかがえます。
遺構としては8ケ所の望楼跡、山裾には南北約2kmにわたる土塁が確認されており、『続日本紀』によると、756年から約12年の歳月をかけて完成したとされていますが、いつ頃廃城になったのかを含め多くは謎のままです。
糸島観光サイト「つなぐいとしま」から引用
「続日本紀によると756年から約12年の歳月をかけて完成したとされ」とありますが、誰が何のために築いたのか、いつ頃廃城になったのかは多くの謎が残っているようです。
これまでこのメディアで追ってきた、謎が多い山城と同様ですね。


メモ② 神社のすぐそばを小さな水路
古くからあるものかは不明ですが、神社のすぐそばには山側から続いている小さな水路がGoogleMapで確認できました。
白木神社(草場)の場所
〒819-0204 福岡県福岡市西区草場126−1
なぜ右三つ巴を追っているのか? これまでの足跡はこちら
メモ代わりに残している「調査ノート」の記事ですが、もしも「右三つ巴紋とは何?」と興味をお持ちいただけたなら、以下の記事も併せてご覧ください。
右三つ巴紋と左三つ巴紋は何が違う?↓

右三つ巴紋の記事まとめ↓






