宇佐神宮周辺には神社がたくさんあります。
いつか行ってみたいところばかり。
そう思ってもなかなか機会が得られずにいましたが、今年の5月にやっと訪れることができました。
駅館川そばの「郡瀬神社」
訪れたのは、駅館川近くの郡瀬神社です。

駅館川の東側方面に宇佐神宮、対岸の西側に郡瀬神社はあります。


まだ新しそうに見える鳥居の扁額には「八幡神社」と刻まれていました。
郡瀬神社の看板

郡瀬神社由緒
応神天皇(八幡大神)
仲哀天皇
神功神后当郡瀬神社は全国八幡宮の総本社である宇佐神宮の御分霊を奉斎した八幡神社 であります。
抑(そもそも)八幡大神と申し奉るは人皇十五代応神天皇の神霊に坐せり。欽明天皇の御宇九年豊前国宇佐郡宇佐の亀山(一名小椋山)の麓に三歳の小児と顕はれ坐して 「吾れは応神天皇の神霊広幡八幡麿なり」と大神比義翁にし、人皇四十三代 元明天皇和銅三年に同郡鷹居山(現東上田)にて復大神比義翁に対して「吾れ神と成りて大空を翔けれども栖まむ処無し、此れを以て御心荒びたり」と諭し給 ひしに困り比義翁は朝廷に奏し、勅定を得、神殿を建て斎き奉る、鷹居、瀬社是れなり。(後、郡瀬神社と称へ奉る)後、人皇四十五代聖武天皇神亀二年(七二五) 神勅ありて小椋山即ち亀山に還り鎮まり坐せるなり。(現在の宇佐神宮)
尚宇佐神宮には行幸会と申す大事な祭儀があり、その行幸会に当社は深い関係のある由緒正しい神社であります。
行幸会と申すは称徳天皇神護元年閏十月十八日の神託によりて四年に一度づつ行われしが嵯峨天皇弘仁八年より六年に一度と改まり、近古戦乱の世久しく中 絶せしを元和元年細川忠興侯再興せらる。其の大略は、下毛郡大貞なる三角池の薦を苅り、御璽を封じ神輿に乗り奉り、宇佐宮八箇社の内、先づ田笛、次に鷹居、次に瀬社(当社)に御泊り、次に泉社、次に乙咩に行幸あり、次に大根川へ、此の社より大神宝を薦社(中津大貞)に奉る。上古は此の社に勅使参宮あり、同夜復(また)当瀬社に御泊りせり。翌日妻垣社(安心院)に行幸。此の社より大神宝を辛川社 (速見郡)に奉る。翌日小山田社に行幸、同社より亀山の本宮へ御還幸あり、旧き御璽は下宮に遷座し、下宮の旧き御璽は国東郡奈多宮に行幸せるなり。
そもそも八幡信仰は單に応神天皇のご聖徳をたたえたものでなく、海外文化や 産業を始めて輸入され、新しい国づくりをされた実に英明幸運の方であると共 に、神徳も強くあられたので伊勢につぐ御先祖のお社として崇敬された八幡社 であり、宇佐神宮の摂社としてお祀りされたが明治五年郷社に列せらる。
後半を現代語訳すると
「行幸会(ぎょうこうえ)」と申すのは、称徳天皇の神護元年(765年)閏10月18日の神託により、4年に一度ずつ行われていたものですが、嵯峨天皇の弘仁8年(817年)からは6年に一度へと改められました。近世の戦乱の世によって長らく途絶えていたものを、元和元年(1615年)に細川忠興公が再興されました。
その大まかな流れは以下の通りです。
まず下毛郡大貞(おおだい)にある三角池(みすみいけ)で薦(こも:敷物などに使う草)を刈り、御神体(御璽)を封じて神輿にお乗りいただき、宇佐宮八箇社のうち、まず田笛、次に鷹居、次に瀬社(今川の瀬社。当社のこと)に御泊りになり、次に泉社、次に乙咩へ行幸され、次に大根川へ向かわれます。この社から、大きなお宝(大神宝)を薦神社(中津市大貞)に奉納します。上古(古代)には、この社に勅使(天皇の使い)が参宮し、同日の夜に再び当・瀬社に御泊りになりました。翌日は妻垣社(安心院)へ行幸され、この社から大きなお宝を辛川社(速見郡)に奉納します。
翌日は小山田社に行幸され、同社から亀山の本宮へお還りになります(御還幸)。古い御神体は下宮に遷座され、下宮の古い御神体は国東郡の奈多宮へ行幸(お遷り)なさるというものです。そもそも八幡信仰は、単に応神天皇ご自身の立派な徳をたたえたものだけでなく、海外の文化や産業をはじめて輸入し、新しい国づくりを成し遂げられた、実にお優れかつ幸運な方であられるとともに、神としての御神徳も非常に強かったことから、伊勢神宮に次ぐご先祖のお社として尊ばれた八幡神であり、宇佐神宮の摂社としてお祀りされていましたが、明治5年(1872年)に郷社(きょうしゃ)に列せられました。
距離的には大変宇佐神宮と近い神社ですが、宇佐神宮の御分霊が祀られている神社。
そして宇佐神宮にとって重要な行事「行幸会」に関する神社のようです。
郡瀬神社で目にとまったもの

石灯籠に刻まれた小さな菊のような花、その上側にはよく見かける宝玉。
よくよく思い出すと、花と宝玉が一緒に刻まれている石灯籠はあまり見ていない気がします。

本殿の左側には石祠が三つ並んでいました。

大神宮。

祇園社。

正一位稲荷大明神。

猿田彦大神の石碑。

反対側、駅館川にも石祠が並んでいました。
ここには入ることができなかった覚えがあります。
遠くからパチリと。
真ん中の石祠の前に、草が生えた鉢があるように見えましたが、何か意味があったのか無かったのかは不明です。

駐車場もありました。

駐車場から神社を見ると、大きな石灯籠が目につきました。

このタイプの石灯籠、たまに見かけますね。
まだ訪れたことはありませんが、宇佐市の海側、寄藻川沿いの和間神社にもこんな石灯籠がありました。
豊後高田方面に行くとき、ちょうど通る道に和間神社はあります。

本殿の屋根を見ると

宇佐神宮と同じ「左三つ巴紋」でした。
私はこの逆向きの「右三つ巴紋」の痕跡を追っているのですが、ここには「右三つ巴紋」は無かったという情報も大事だと思っています。
現地を歩いてみないと気づけないことも多いですし。
郡瀬神社のアクセス
〒879-0461 大分県宇佐市樋田
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