宗像大社が荒れていた頃。出光佐三が再興に動いた理由

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福岡県宗像市にある宗像大社。

宗像三女神を祀る神社として知られ、2017年には「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の構成資産として、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。

現在は多くの参拝者が訪れる、九州を代表する神社の一つです。

ところが、今の姿からは想像しにくいことがあります。

かつての宗像大社は、社殿の傷みが目立ち、荒れた状態にあった時期がありました。

その姿を目にし、再興に動いた人物がいます。

石油会社・出光興産の創業者として知られる、出光佐三です。

目次

拝殿の屋根にトタンが差し込まれていた

宗像市の資料によると、出光佐三が宗像神社を訪れたのは、昭和12年(1937年)2月のことでした。

佐三は宗像神社の拝殿を見て、驚いたといいます。

屋根は壊れ、ところどころにトタンが差し込まれていました。建物には腐りかけた部分もあったと記録されています。

現在の整った境内や社殿を知っていると、なかなか想像できない光景です。

宗像大社は、古くから宗像の地で信仰を集めてきた神社です。

沖ノ島、大島、九州本土の辺津宮という三つの祭祀の場を持ち、古代の海上交通とも深く関わってきました。

そのような歴史を持つ神社が、昭和初期には社殿の維持も容易ではない状態になっていたのです。

出光佐三による再興

出光佐三は、宗像市赤間の出身です。

宗像神社の荒れた姿を見た佐三は、その状態を心に留め、再興に向けて動き始めます。

昭和17年(1942年)には、佐三を中心として「宗像神社復興期成会」が結成されました。

再興事業は、社殿の修理だけにとどまりませんでした。

宗像神社の歴史をまとめる『宗像神社史』の編纂や、沖ノ島の発掘調査とその報告書の刊行も支援しています。

また、昭和34年(1959年)には神宝を収蔵する社宝収蔵庫を建設・奉納しました。

さらに昭和44年(1969年)から昭和46年(1971年)にかけて、辺津宮の本殿・拝殿の修理や境内整備などを行う「昭和の大造営」が進められました。

出光佐三は、宗像神社の建物を整えるだけでなく、その歴史や神宝を後世に残すための活動にも力を注いだのです。

現在の宗像大社の姿には、こうした再興事業の積み重ねがあります。

なぜ宗像大社は荒れていたのか

ここで気になるのは、なぜ宗像大社がそのような状態になっていたのか、ということです。

明治時代には神仏分離など、神社を取り巻く制度や宗教環境が大きく変わりました。

しかし、宗像大社の荒廃を、こうした政策だけで説明することはできません。

明治12年(1879年)や大正11年(1922年)にも本殿の修理が行われており、長い年月の中で維持管理が続けられていたことも分かっています。

社殿が傷んでいた背景には、修理や維持に必要な資金、人々の暮らし、神社を取り巻く社会の変化など、さまざまな事情があったのかもしれません。

現時点では、その原因を一つに絞ることはできません。

ただ、昭和12年に出光佐三が目にした宗像神社の姿は、現在の華やかな印象とは異なるものでした。

今の姿だけでは分からないこと

宗像大社は、長い歴史を持つ神社です。

古代の海上交通や沖ノ島の祭祀と結びつき、時代を越えて信仰されてきました。

そして現在は、世界遺産の構成資産として国内外に知られています。

けれど、その歴史は、いつも同じ姿で続いてきたわけではありません。

社殿が傷み、再興を必要とした時代がありました。

その姿を見た一人の人物が動き、多くの人々とともに、神社の建物や歴史を後世に残すための事業を進めました。

今、私たちが訪れる宗像大社の境内には、そうした時代の積み重ねも残っています。

神社を訪れるとき、由緒や祭神、建築物に目が向きがちです。

けれど、現在の姿に至るまでに、どのような時代があったのか。

そのことを知ると、見慣れた神社の景色も、少し違って見えてくるように思います。

参考

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福岡県と大分県の県境エリアで活動しているフォトライターです。
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