福岡県と大分県の県境にそびえる英彦山(ひこさん)。
修験道の霊場として知られる山ですが、その名前には、時代による変化が残っています。
現在は「英彦山」と書きますが、古くは「日子山」、その後は「彦山」と表記されていました。
なぜ「日子」から「彦」へ、そして「英彦山」になったのでしょうか。
もともとは「日子山」と呼ばれていた
英彦山神宮の由緒によると、この山は古くから神の山として信仰され、もともとは「日子山」と呼ばれていました。
その由来は、山の御祭神にあります。
英彦山神宮の主祭神は、天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)。
天照大神の御子とされる神です。
そのため、天照大神を「日の神」とし、その御子が祀られている山を「日の子の山」、すなわち「日子山」と呼んだと伝えられています。
現在の英彦山神宮も、この由来を公式に紹介しています。
819年、「日子山」から「彦山」へ
英彦山神宮の由緒では、弘仁10年(819年)、嵯峨天皇の詔によって「日子」の二文字が「彦」に改められたとされています。
こうして「彦山」という表記になりました。
「彦」は、古代の日本語で男性を表す美称です。
「姫(ひめ)」と対になる言葉で、神や人の名前にも使われてきました。
先日、七夕の彦星について調べたときにも、この「彦」という言葉が出てきました。
彦星の「彦」と、英彦山の「彦」。
どちらも同じ読みを持つ、古い日本語の言葉です。
ただし、英彦山の「日子」と「彦」が、語源としてどのような関係にあったのかは、由緒の説明と語源そのものの問題を分けて考えておきたいところです。
1729年、「英」の一字が加わる
さらに時代が下り、享保14年(1729年)。
霊元法皇から「英彦山」の勅額が下賜されました。
これによって、現在の「英彦山」という表記になったとされています。
英彦山は、古くから山岳信仰の霊場として知られ、修験道の拠点として栄えていました。
山中には修行の場や寺院、坊舎が設けられ、多くの山伏が活動していました。
「英」の字が加わったのは、そうした歴史を持つ彦山に対する、朝廷からの特別な扱いの一つだったのでしょう。
現在も「英彦山」と書いて「ひこさん」と読みます。
名前に残る、山の信仰
英彦山の名前をたどると、
日子山
↓
彦山
↓
英彦山
という変化が見えてきます。
その背景には、天忍穂耳命を祀る山としての由緒と、修験道の霊場として発展してきた歴史がありました。
「彦」という言葉を調べていたら、英彦山の名前にも行き着きました。
彦星の「彦」と、日子山の「日子」。
同じ「ひこ」という音を持つ言葉が、七夕の星の名前にも、九州の山の名前にも残っています。
言葉の由来を一つに決めることはできませんが、名前をたどってみると、これまで何気なく見ていた地名や神社の名前にも、少し違った目が向くようになります。
参考
- 英彦山神宮「御祭神と由緒」 — 日子山の由来、819年の改称、1729年の英彦山への改称
- 添田町「国指定史跡英彦山保存活用計画」 — 英彦山の古代信仰と山岳信仰の歴史
- 文化庁「英彦山」文化遺産オンライン — 1729年の勅額下賜と、修験道の霊場としての歴史
- コトバンク「英彦山」 — 日子山・彦山・英彦山の表記の変遷
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