宇佐神宮や多くの八幡神社と違う向きの三つ巴紋「右三つ巴紋」を国東半島の北端で見つけて以来、なぜ向きが違う三つ巴紋があるのかと調べています。

歴史の専門家に尋ねても「さぁ、考えたこともありませんね」との回答でしたが、自力で調べていくうちに、やはり意味があるのでは?と思いを強くしています。

右三つ巴紋の神社を沢山調べたり、分布図でも作ればもっと色々なことが分かるんじゃないかと調べ続けているのですが、すぐに全てに出向くのはなかなか難しい状態です。
すぐに行けなくても「いつか見に行きたい気になる神社」として、調べたことをメモ代わりに記事化しています。
福岡市西区拾六町 熊野神社(新宮大明神社)のGoogleMapの画像で右三つ巴紋を確認
以前、右三つ巴紋がある神社を探した時、福岡市以西でよく見つかる気がしていました。
そこでGoogleMapで、このサイトで追っているキーワードの一つ「熊野」のつく熊野神社を探してみると、右三つ巴紋を確認できました。

右三つ巴紋があるということは、このメディアで追っているキーワードとの関連が予想されました。
そもそも神社の名前が「熊野神社」で「紀伊国」とリンクします。
メモ①:熊野神社の由緒書きと平安時代末期〜鎌倉時代前期の大日如来坐像
熊野神社
この一帯は緑地保全地区で、 境内の杉の大木は市の保存樹に指定されています。
熊野神社が造られた時期は不明ですが、永仁元年 (1293年)に生の松原に熊野神社が祀られたことが 「旧壱岐神社文書」に記されています。
神社内にある木造大日如来坐像 (県指定文化財)は、大きな耳、端正な顔、流麗な衣紋などから、平安時代末期から鎌倉時代前期の作品とされています。
神社周辺は、宅地化していますが、 宮の前遺跡 (弥生時代末期集落) 湯納遺跡 (縄文時代前期の貯蔵穴~平安時代の掘立柱建築遺構)、高崎古墳群などがあります。
平成13年3月
この熊野神社が造られた時期は不明ですが、永仁元年 (1293年)に生の松原に熊野神社が祀られたことが 「旧壱岐神社文書」に記されているということは、古くからこの地域で熊野神社が祀られていることは確かなようです。
国東半島だけでなく、この福岡県西部でも、「熊野」「紀伊国(木の国)」とのつながりが示唆されているようです。

メモ② 神社周辺には縄文時代や弥生時代の遺跡
神社周辺には宮の前遺跡 (弥生時代末期集落) 湯納遺跡 (縄文時代前期の貯蔵穴~平安時代の掘立柱建築遺構)、高崎古墳群があります。
大変古い時代から「何か」があった神社であるということは、このメディアで追っている大和朝廷以前の勢力との関連は十分考えられそうです。
福岡県福岡市西区横浜 熊野神社の場所
〒819-0041 福岡県福岡市西区拾六町5丁目4−7
なぜ右三つ巴を追っているのか? これまでの足跡はこちら
メモ代わりに残している「調査ノート」の記事ですが、もしも「右三つ巴紋とは何?」と興味をお持ちいただけたなら、以下の記事も併せてご覧ください。
右三つ巴紋と左三つ巴紋は何が違う?↓

右三つ巴紋の記事まとめ↓






