撮りためたGoogleフォトを眺めて、まだ記事化していなかった写真をアップしています。
2020年3月に訪れていたのは、北九州市八幡西区の市瀬 鷹見神社です。
市瀬 鷹見神社 2020年3月 撮影記録
当時住んでいた北九州市は大変広い「市」だと思います。
1963年(昭和38年)2月10日に門司、小倉、若松、八幡、戸畑の「5市」が対等合併してできた街ですから。
広い北九州市には、海あり山あり川がいくつもありです。
今思えば、少し車で走ったら結構自然も残っていたんですよね。

市瀬 鷹見神社も大変自然豊かな場所にあります。
神社の奥からは、登山道もあるほどですから。


ここには何度訪れたでしょう。



気持ちがよい場所だと思っていました。

社殿の立派な彫刻が印象的でした。

2026年の気付き

鷹見神社
御祭神
伊弉冉尊(いざなみのみこと)
速玉男命(はやたまのをのみこと)
事解男命(こときかをのみこと)
由緒
文武天皇慶雲二年三月役小角紀州熊野三山の大神を勧請鷹見大権現を創祀してより遠賀川東四十ヶ村の鎮守として又鷹見(高見)神社総本社として尊崇厚く奥宮及び十二宮よりなり奥宮は権現山々頂にあり又上宮十二宮は九合目にありて其下に社僧六坊の住居の趾ありて總?を見光山神昌寺と云ふ 永禄年中花尾城主麻生兵部太夫夫重兼中門回廊を建立し三千石の神田を寄進す
更に慶長五年國主黒田長政入國に際して山林一万三千四百坪御供米五俵掃除人夫三人を累代寄進す。天正年中兵火にかかり社殿賽物記録等焼失し永禄四年再度大友氏の兵火にかかり元禄年中再興し現在に至る
文武天皇の慶雲2年(705年)3月、修験道の開祖である役小角が紀州の熊野三山から大神を勧請し、鷹見大権現を祀ったのが始まりです。それ以来、遠賀川の東側にある40もの村々の守り神として、また各地の鷹見(高見)神社の総本社として篤く信仰されてきました。社殿は奥宮と十二宮からなり、奥宮は権現山の山頂に、上宮にあたる十二宮は九合目に位置しています。その下には神社に仕える僧侶が住んだ六つの坊(宿坊)の跡があり、当時は神仏が習合した山全体を見光山神昌寺と呼んでいました。
歴史的には、永禄年間に花尾城主の麻生重兼が中門や回廊を建立し、三千石もの広大な神田を寄進しました。さらに慶長5年(1600年)、黒田長政が国主として入国した際にも、一万三千四百坪に及ぶ山林や御供米、掃除人夫3人を代々寄進することを定め、手厚く保護しました。天正年間の兵火によって社殿や宝物、貴重な記録などが一度焼失し、さらに永禄4年にも大友氏の軍勢による兵火に見舞われるという苦難の時期もありましたが、江戸時代の元禄年間に再興され、現在に至っています。
「権現山」とシンプルにずっと呼ばれていたこの山に祀られていたのは「鷹見大権現」。
そして鷹見大権現は、熊野から勧請された。
権現山全体を、見光山神昌寺と呼んでいた。
国東半島や福岡だけでなく、北九州の山にも、熊野のつながりの痕跡がありました。


市瀬 鷹見神社 の場所
〒806-0063 福岡県北九州市八幡西区市瀬70



