宇佐市の田園の中に、稲積山を背にした小さな神社があります。
稲積六神社。
近くを通るたびに気になっていた神社の一つです。
調べてみると、この神社には、宇佐の古い信仰を考えるうえで気になる伝承が残っていました。
それが、辛嶋氏と稲積山です。
稲積山のふもとの神社
稲積六神社が鎮座するのは、大分県宇佐市大字中。
境内のすぐ近くを伊呂波川が流れ、その背後に稲積山があります。
稲積山は円錐形をした目立つ山で、「宇佐富士」と呼ばれることもあります。
実際に神社から山を眺めると、社殿の背後に山が迫っているのが分かります。
この神社を調べていて、まず目に入ったのが「稲積山との関係」でした。
稲積六神社の由緒
境内に残る「稲積六神社 由緒記」には、神社の鎮座について次のような記録があります。
最初の三柱は、慶雲3年(706)に稲積山上に鎮座。
その後、承和7年(834)に三柱が加わり、六柱となったとされています。
そして鎌倉時代の応長4年(1314)に、山上から現在の場所へ遷座したと記されています。
現在の御祭神は、
- 伊弉册尊
- 速玉男命
- 事解男命
- 国常立命
- 火産霊命
- 彦火々出見命
の六柱です。
もちろん、706年という年代がそのまま歴史的事実として確認できるわけではありません。
ここでは、神社に伝わる由緒として記録されているものとして見ておきたいと思います。
辛嶋氏と稲積山
稲積六神社について調べると、「辛嶋氏」という名前が出てきます。
九州国立博物館振興財団の「The Road to DAZAIFU ~大宰府への道~」では、古代宇佐で活動した渡来氏族の一つとして辛嶋氏を紹介し、
辛嶋氏は香春岳から東へ移り、宇佐の稲積山へ居を構えたとされると説明しています。
さらに同じ記事では、稲積六神社は、辛嶋氏が宇佐に来て初めて建立した神社といわれると紹介されています。
山を祀るということ
稲積六神社の由緒では、最初の鎮座地は稲積山の山頂でした。
現在の社殿は山のふもとにありますが、もともとは山そのものが信仰の対象だったということになります。
九州国立博物館振興財団の紹介でも、辛嶋氏が稲積山へ移ったことと、この神社の成立が紹介されています。
山を見て、山を祀る。
こうした信仰の形は、宇佐だけのものではありません。
宇佐には御許山というもう一つの大きな信仰の山があり、宇佐神宮の成立を考えるうえでも重要な場所です。
稲積山と御許山。
宇佐の東と西にある二つの山を眺めてみると、少し面白くなってきます。
求菩提山の頼厳上人
もう一つ、この地域を調べていて気になった人物がいます。
求菩提山の中興の祖とされる頼厳上人です。
求菩提山は豊前を代表する修験の山で、頼厳は平安時代後期に入山し、求菩提山を本格的な天台修験の山へと整えていった人物として知られています。
九州歴史資料館の講座案内では、頼厳について、
旧宇佐郡辛嶋郷の出身
と紹介されています。
稲積六神社をめぐる辛嶋氏の伝承。
宇佐郡辛嶋郷。
そして、豊前の求菩提山で活動した頼厳。
ここにも、いくつかの点があります。
ただし、これらを「だからつながっている」とする資料は、今回確認できませんでした。
稲積六神社を訪ねて
今回、改めて見ておきたいと思ったのは、むしろ神社そのものです。
田園の中にある境内。
すぐそばを流れる伊呂波川。
その背後に立つ稲積山。
そして、山の上から現在地へと移されたという由緒。
辛嶋氏についても、香春岳から宇佐へ移ったという伝承があります。
どこまでが史実で、どこからが後世に伝えられた由緒なのか。
そこは、今の私にはまだ分かりません。
けれど、
香春岳から宇佐へ移ったとされる辛嶋氏。
その氏族が最初に建立したと伝えられる稲積六神社。
かつて神社が鎮座していたという稲積山。
そして、後世に求菩提山で活動した頼厳。
こうして並べてみると、気になる点はいくつも出てきます。
また別の場所を歩いたときに、何か気になるものが見つかるかもしれません。








稲積六神社のアクセス
〒879-0512 大分県宇佐市黒561
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