宇佐神宮の虫振祭・風除祭を見に行く

宇佐神宮 虫振祭・風除祭
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「虫」と「風」。

豊のくにあとで、これまで何度か追いかけてきた言葉です。

虫は、農作物を害するものとしてだけではなく、虫除けや虫送り、虫干しなど、古くからさまざまなかたちで人の暮らしと関わってきました。

風もまた、恵みをもたらす一方で、台風や風水害によって田畑を脅かします。

そんな「虫」と「風」が、宇佐神宮の祭りの中にも並んでいることを知りました。

毎年8月7日に斎行される、虫振祭と風除祭です。

目次

春の御田植祭から、秋の報賽まで

宇佐神宮によると、虫振祭と風除祭は、毎年6月に行われる御田植祭に関わる重要な祭典です。

御田植祭で田植えを行い、その後、稲が育っていく時期に虫や風による災いがないよう祈る。

8月7日の虫振祭では、イナゴやウンカなど、水田の病害虫による災いがないよう祈願します。

また、同日に行われる風除祭では、台風などの風水害から稲や農作物を守り、安全な生長を祈ります。

そして10月20日には、風除報賽祭。

8月の風除祭で祈願した田畑の安全と豊作が成就したことへの御礼として、報賽する祭典です。

神賑として、鉾立神事や神能も奉納されるそうです。

田植えから、稲が育ち、収穫を迎えるまで。

一日だけの祭りではなく、農作の時間に沿って祭りが続いていることが分かります。

8月7日、宇佐神宮へ

8月7日。

実際に虫振祭・風除祭を見に、宇佐神宮へ向かいました。

ところが、公式ホームページには祭りが行われることは書かれていても、何時に、どこで行われるのかまでは分かりませんでした。

そこで、現地で巫女さんに尋ねました。

教えていただいた場所は、上宮。

宇佐神宮 虫振祭・風除祭

時間に間に合うよう、上宮へ向かいました。

神事の写真は撮影していません。

社務所で確認したところ、撮影は控えた方がよいとのことだったためです。

そのため、ここから先は写真ではなく、私がその場で見たことを記録しておきます。

最初の祝詞は、住吉社側で

上宮に着くと、神職の方々が神事を始めていました。

最初に祝詞が奏上されていたのは、住吉社そのものではありません。

上宮の回廊の、住吉社側。

そこから神事が始まりました。

その後、二之御殿へ。

二之御殿では、改めてしっかりと祝詞が奏上されました。

神事に参加していたのは四名。

主に一人の神職の方が祝詞を奏上し、他の三人の方は順にお参りをされていました。

やがて神職の方々は上宮から出ていきます。

そのとき、西大門の中央を通っていきました。

宇佐神宮 西大門

そして、神職の方々が通り過ぎると、中央の扉が閉じられました。

普段から閉まっている扉なのかもしれません。

大事な祭礼の時だけ開かれるのかもしれません。

その日、その時間に実際に見たものとして、この光景を記録しておきたいと思います。

「虫振祭」は、もともと虫干しだった

宇佐神宮の説明で、もう一つ気になったことがあります。

虫振祭は、もともとは御殿内の装束や宝物類、能衣装、面、文書などの虫干しを行う祭礼だったそうです。

それが後に、イナゴやウンカなど、水田の病害虫による災いがないよう祈念する神事へと変わったといいます。

「虫」という言葉を追ってきた私には、この変化がとても気になりました。

虫干し。

そして、虫除け。

同じ「虫」という言葉が、神宝や装束を守ることと、田を守ることの両方につながっています。

10月20日、その先にある祭り

8月7日の風除祭で終わりではありません。

その先に、10月20日の風除報賽祭があります。

風から田畑を守ってくださいと祈ったあと、無事に実りを迎えたことを神前に報告し、御礼をする。

そのときに奉納されるのが、鉾立神事や神能です。

菱形池

菱形池の近くを歩いていると、屋根のある建物がありました。

能楽殿です。

ここでは、風除報賽祭にあわせて「宇佐神宮御神能」が奉納されます。

今回は、その能楽殿の写真を撮ることができました。

8月7日に見た風除祭の、その先にある10月20日の祭り。

その舞台が、ここにありました。

春に田を植え、

夏に虫と風から田を守ることを祈り、

秋に実りを迎えたことを報告する。

宇佐神宮の祭りを調べてみると、神事がそれぞれ独立しているのではなく、田の時間に沿ってつながっていることが見えてきます。

今回、実際にその一つを見ることができました。

「虫」と「風」を追ってきた私にとって、宇佐神宮で見た8月7日は、その二つの言葉が並んで現れる場所でした。

そして、10月20日。

風除報賽祭では、どのような神能が奉納されるのでしょうか。

今度は、秋の宇佐神宮を見てみたいと思います。

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福岡県と大分県の県境エリアで活動しているフォトライターです。
活動エリアは、北九州から東〜中津〜宇佐〜国東半島の北西部。
地域の古い痕跡を歩いて探し、歴史サイト「豊のくにあと」を運営しています。

拠点は、築年数不明の古民家を借りて開いた小さな図書館
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