読者の方からの情報提供で、右三つ巴紋以外にも気になる謎のキーワードが加わりました。

右三つ巴紋とつながるのかは、この段階では予測できませんでしたが、新たな謎のキーワード「牛頭天王」について思い当たることがありました。
移住して訪れていた福岡県上毛町の牛頭天王公園
豊前市に移住してから「牛頭天王」の名前が着く公園に行ったことがありました。

小高い丘の上にある牛頭天王公園からは大分県と福岡県の境を流れる山国川と大分県中津市を代表する山「八面山」、それに左手には宇佐市の山々も見えます。
公園内には弥生時代の遺跡もあるという、古くから人が住んでいた場所です。
この八坂神社はかつて白鳳時代に建立された垂水廃寺・滝ノ宮牛頭天王だった?

看板には、養老年中に播磨の国、明石より疫病除の神として勧請されたこと、牛頭天王社として称えられていたけれど、慶応四年四月に現在と同じ「八坂神社」に改称されたことが伝えられていました。
その情報から更に調べてみたら、こちらの記事で、この八坂神社は元々白鳳時代に建立された、垂水廃寺「瀧ノ宮牛頭天王」であったことが紹介されていました。
の地域で疫病が流行した際に現在の兵庫県姫路市の廣峯神社から勧請され祀られたそうです。
看板の内容と一致するうえに、更に詳しい情報です。
(大変詳細な記事でしたので、おそらく何らかのソースがあるかと思いました)

そしてこちらの龍の彫刻は、この八坂神社に合祀された皇大神宮遥拝所でかつて使われていたという情報もその記事で伝えられていました。
川と龍神、不自然さは無いはずなのに、牛頭天王が関連する神社で、皇大神宮を遥拝していることに対して小さな違和感が生まれていました。
方角と名前から、皇大神宮は中津城内の中津大神宮を指していると想定しましたが、中津大神宮は公式サイトによれば「明治十四年、伊勢の神宮の大神様の御分霊を奉迎鎮祭し、神宮豊前教会として中津城址に御鎮座しました」とあります。
白鳳時代に建立された寺院が始まりであるこの八坂神社に合祀された皇大神宮遥拝所が、明治時代に鎮座した中津大神宮を遥拝するのかと不思議に思いました。
「滝ノ宮牛頭天王」_牛頭天王と関連する「滝」とは

八坂神社には「瀬織津比売神」「速開津比売神」「気吹戸主神」「速佐須良比売神」も祀られていました。
この四柱は祓戸四神と呼ばれ、罪や汚れを祓う神として、神道の「大祓詞(おおはらえことば)」に登場します。
大祓詞(おおはらえことば)とは、神道の祭祀で唱えられる祝詞(のりと)で、日々の生活で知らず知らずのうちについた罪や穢れ(けがれ)を祓い清めるための長いお祈りの言葉です。
中臣氏が担当していたことから、中臣祓(なかとみのはらえ)ともいわれるようです。
私はここで「瀬織津比売神」に注目しました。
瀬織津比売神は水の神で、滝や川でよく祀られているといわれています。
この点は「滝ノ宮牛頭天王」とリンクします。
また、天照大神の荒魂とされ伊勢神宮で祀られているのに、古事記・日本書紀には記されていないため「謎の女神」「消された女神」ともいわれています。
「滝ノ宮牛頭天王」から「八坂神社(牛頭天王)」になった経緯から、消されたのは「滝」であると、この女神を更に調べてみることにしました。
瀬織津姫が祀られている中津市「闇無浜神社」へ。龍につながる跡
ネットで「瀬織津姫」を調べてみると、八坂神社の対岸の中津市「闇無浜神社」に祀られていることが分かりました。


闇無浜神社は別名「龍王宮」、御祭神は豊日別国魂神・瀬織津姫神です。
豊日別国魂神といえば、移住前からよく訪れていた英彦山の高住神社と同じ御祭神です。

万葉歌碑の看板によれば、昔は神社のすぐ下に波が来ていたようです。
柿本人麻呂が詠んだともいわれる歌には「闇無浜」ではなく「倉無浜」と書かれています。
これも変えられた跡でしょうか。
そしてかつて「倉無浜」は「竜王浜」ともいわれていたことから、瀬織津姫、それにもしかしたら豊日別国魂命も龍とつながる可能性を感じました。
豊日別国魂命は古くから豊前・豊後の守護神だったといわれます。
その神と対となる瀬織津姫は、このエリアにとって重要な女神だったのではないかと思いました。
瀬織津姫=豊玉姫説を訴える論文と新たなキーワード「木船(貴船)」を発見
豊日別国魂命と対となって祀られていた、本来ならば消された女神とされる「瀬織津姫」。
瀬織津姫から連想されるキーワードは水、海、女神、そして龍です。
龍女神といえば、昔話の乙姫のモデルとされた豊玉姫です。
豊玉姫は、古事記や日本書紀に登場する海神の娘で、龍宮の姫神として知られ、大分県宇佐市安心院町の龍王神社にも祀られています。
リンクするキーワードが多かったので、ネットで調べたところ、ある論文が見つかりました。
宗像と宇佐の女神、そして卑弥呼[付編]魏使の邪馬台国への行程-宗像神信仰の研究(4)-
こちらの論文は査読はされていないものの、大変興味深い情報が書かれていました。
瀬織津姫が宗像と宇佐の女神ではないかと神社の御祭神の統計や分布などから、推察していました。
特に気になった記述は以下です。
さきに豊前に渡来人が多く、そこで八幡信仰の基盤となった比咩神が祭られたことを述べたが、豊前
はまた既報[8]で見たようにオカミ神が集中して祭られている「オカミベルト」の中心である。それではオカ
ミ神と比咩神(後セオリツ)とはどのような関係があるのだろうか。
その手がかりが、ムナカタにある。前報で見たように福津市津屋崎の波折神社の主祭神筆頭がセオリ
ツであるが、この神社の縁起を文政七年(1824)福岡藩の儒者青柳種信が書いている。その冒頭に、
「右当社に祭るところの神は瀬織津姫大神 また木船神とも称え申す 住吉大神志賀大神にておわしま
す(以下略)」と書かれている(『津屋崎町史資料編上』の解読文[29]による)。筑前三風土記の一つ『筑
前国続風土記拾遺』を著した種信は福岡藩を代表する国学者で、当時の学者の間では広くその見識
が認められていた。当時国学者の間では、セオリツと木船(貴船)神(=オカミ神)が同神と考えられてい
たらしいのである。(以下略)
福岡藩を代表する儒学者青柳種信が、福津市津屋崎の波折神社の主祭神である瀬織津姫が木船神であり、住吉大神志賀大神であると伝えているというのです。
たしかに前述した瀬織津姫=豊玉姫説を訴える論文でも、かつて宗像大社の大宮司が屋敷神(土地や家の守護神)として祀っていたのは貴船神という情報もありました。
なお、ここで瀬織津姫=木船神=住吉大神志賀大神という三柱の関係と木船神の字が一般的な「貴船」ではなく「木船」になっていることにや、住吉大神志賀大神については当時深く考えておらず、瀬織津姫が木船神(貴船神)であることだけに注目していました。
そういえば、大分県中津市や宇佐市にはやたら貴船神社が多く、子供のころに住んでいた京都は貴船神社といえば一箇所だったのにと不思議に思っていたのです。
牛頭天王、龍、瀬織津姫、木船神(貴船神)と謎がリンクして浮かび上がる
読者からの情報と、移住した豊前市で目にしたものから、謎のキーワードがリンクして浮かび上がっていきます。
それらは一つ一つ独立しているように見えて、やがてこの謎の始まりになったキーワード「右三つ巴紋」が一つの線で結んでくれるのですが、この時点はまだまだ先が見えない状態でした。
(連載4につづく)
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