最近、古代の赤い顔料「丹」について調べていました。
その中で、筑紫君磐井の名前が『古事記』では「石井」と表記されていることが気になり、「石」という文字から、古代の資源や山との関わりについて考えていたところです。

そんなとき、ふと記憶の中にあった石人の姿が浮かびました。
以前、家族旅行で訪れた大分県臼杵市。
写真を見返してみると、そこにも石人がありました。
石人に残る赤い色は、いったい何なのだろう。
今回は、2020年に撮影した写真をもとに、臼塚古墳と臼杵神社を記録しておきます。
2020年に旅した大分県臼杵市

2020年、北九州市から、海と山のある臼杵市へ家族で旅行しました。

国宝の臼杵石仏を訪ねたことはよく覚えていますが、そのとき、臼杵神社にも足を運んでいました。
今回、古い写真を見返していて、そこで見た石人のことを思い出しました。
この記事の写真は、すべて2020年に撮影したものです。
石人が守る「臼塚古墳」「臼杵神社」

臼杵神社は、小高い丘の上にあります。
この丘そのものが、臼塚古墳の後円部にあたります。
現地の案内板には、臼塚古墳について次のように説明されていました。

大分県指定史跡
臼塚古墳
所在地 臼杵市大字稲田字西平
築造年代 五世紀前半~中頃形状 前方後円墳 全長約八七メートル
埋葬主体 舟形石棺 (二基)臼塚古墳は、古墳時代において大野川東岸から豊後水道沿岸部にかけての広大な領域を支配していた海部一族の族長(首長)の墓とみられる前方後円墳です。現在、臼杵神社の社殿が建てられている部分が後円部にあたり、大正四年(一九一五)に、この頂上部から大小二基の舟形石棺が発見されました。両石棺の内部には男女一体ずつ、合計四体が葬られており、出土した頭骨の外耳道(耳の骨)には、潜水作業を行う人々によくみられる骨腫 (骨の突起)があることがわかりました。 こうしたことから臼塚古墳に葬られた人たちは、 海を生活の舞台とするとともに高い航海技術を持ち、九州の古墳文化に強い影響を与えながら、沿岸地域の豪族たちとも深い関係を築き成長した人々であったようです。
副葬品としては、人骨のほかに「位至三公鏡」・「獣帯鏡」(ともに臼杵市指定有形文化財)
と呼ばれる銅鏡がそれぞれ一枚ずつ、さらに貝輪(腕飾り) や鉄製の鎧(短甲)、鉄鉾、鉄 剣などが発見されています。
石棺の形状は山陰・北陸地域の舟形石棺と同系統のものです。
また、ここに置かれてある二基の石人は短甲を模したものであり、九州内では最も古いとされています。
臼杵市教育委員会
また、この古墳は、古墳時代に大野川東岸から豊後水道沿岸部にかけて活動した海部一族の首長の墓とみられているとされています。
大正4年(1915年)には、後円部の頂上付近から大小二基の舟形石棺が発見されました。
石棺には男女合わせて4体が葬られており、その人骨には、潜水作業を行う人々に見られることがある外耳道骨腫が確認されたと案内板にはあります。
このことから、ここに葬られた人々は海を生活の舞台とし、高い航海技術を持っていた可能性が考えられています。
副葬品として、銅鏡、貝輪、短甲、鉄鉾、鉄剣なども出土しています。
さらに興味深いのが、古墳の前に置かれている二基の石人です。

案内板によれば、この石人は短甲を模したもので、九州内では最も古いものとされています。
石人に残る赤色が気になった
私が今回、写真を見返していて気になったのは、この石人に見える赤い色でした。
もしかすると、古代の「丹」と関係があるのだろうか。
そんな疑問が浮かびました。
ただし、現地の案内板には、この赤色について顔料の種類を説明する記述はありません。
写真から見える色だけで、それを「丹」や辰砂によるものと判断することもできません。
そのため、現時点では、「この赤色は丹なのではないか」というところまでしか言えません。
けれど、石人そのものに古い赤色が残っているように見えることは、記録しておきたいと思いました。
臼杵という場所と「丹生」という名前
もう一つ、以前から気になっていたのが「丹生」という名前です。
臼杵城のある場所は、かつて「丹生島(にゅうじま)」と呼ばれていました。
現在は陸続きになっていますが、江戸時代の埋め立て以前は島だったとされています。
「丹生」という地名は各地に残っており、古代の丹(辰砂)との関係が論じられることがありますが、ここもそうなのかは調べる余地があります。
「石」と「丹」と海
こうして臼杵を見ていると、いくつかの言葉が重なってきます。
石。
舟形石棺、そして石人。
海。
海部一族の首長墓とされる臼塚古墳。
そして、石棺については、山陰・北陸地域の舟形石棺と同系統とされています。
さらに、
丹。
これは、今回私が写真を見返すきっかけになったものです。
石人に見える赤色が「丹」なのか。
「丹生島」という地名と、古代の丹には何らかの関係があるのか。
今のところ、どちらも答えは出ていません。
山陰・北陸からも見えるもの
もう一つ、今回改めて気になったのが、舟形石棺の系統です。
臼塚古墳の石棺は、山陰・北陸地域の舟形石棺と同系統とされています。
臼杵という場所を見ていたはずなのに、そこから山陰・北陸という別の地域が出てきました。
古墳や石棺は、その土地だけを見ていても完結しないことがあります。
人が移動したのか。
技術が伝わったのか。
それとも、似たものが別々に生まれたのか。
今の段階では、まだ分かりません。
ただ、2020年に旅先で撮った一枚の写真を見返したことで、以前は気づかなかった「点」が一つ増えました。
臼杵の石人に残る赤色は「丹」なのか。
そして、この石人や石棺は、どこから来たものなのか。
今は、その問いを残しておきたいと思います。

