菅原道真が天神になる前。もともと存在していた天神とは

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天神様といえば、菅原道真を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。

学問の神様として知られ、受験の時期には全国の天満宮に多くの人が参拝します。

しかし、天神という言葉は、菅原道真が神として祀られるようになる前から存在していました。

もともとの天神は、菅原道真という一人の人物を指すものではありません。

では、道真以前の天神とは、どのような存在だったのでしょうか。

目次

天神とは、天から降りた神々のこと

古くから日本には「天神(あまつかみ)」という言葉がありました。

これは、特定の一柱の神の名前ではありません。

高天原から降りてきた神々を指す総称で、土地にもともと存在する国神(くにつかみ)と対になる言葉でした。

古代の神々は、大きく天神と国神に分けて考えられていたのです。

また、天神という言葉は古代中国にも存在します。中国では、天帝をはじめ、太陽や月など、天や自然現象に関わる神々を指す言葉として使われていました。

日本の天神と中国の天神は、もともと同じ意味ではありませんが、時代が下るにつれて、さまざまな信仰の中で重なっていきました。

つまり、天神という言葉そのものは、菅原道真が生まれるずっと前から使われていたのです。

道真以前にも、天神は祀られていた

天神という言葉が古くから使われていたことを示す記録があります。

平安時代に編纂された史書『続日本後紀』には、承和3年(836年)、遣唐使の航海に際して天神地祇を北野に祀ったという記述があります。

この時点では、菅原道真はまだ生きています。

道真が太宰府で亡くなるのは、延喜3年(903年)のことです。

つまり、道真が天神として祀られるようになる以前から、天神地祇という神々への祭祀が行われていたことが分かります。

また、天神の古い神格には、天から降る雷神という性格もあったとする説明があります。

雷や天変地異など、人の力ではどうすることもできない自然現象も、神の働きとして受け止められていたのでしょう。

菅原道真が天神になった背景

菅原道真は、平安時代の学者であり政治家でした。

宇多天皇に重用され、右大臣にまで昇進しますが、藤原時平らの策謀によって大宰府へ左遷されます。

延喜3年(903年)、道真は大宰府で亡くなりました。

その後、京都では落雷や疫病、洪水などの災害が相次ぎます。

人々はこれらの出来事を、道真の怨霊によるものと考えるようになりました。

延長8年(930年)には、宮中の清涼殿に落雷があり、複数の公卿が死傷する事件が起こります。

こうした出来事を経て、道真の霊を鎮めるための祭祀が進められていきました。

天暦元年(947年)には、京都の北野に道真を祀る社が設けられます。

さらに永延元年(987年)、一条天皇から「北野天満大自在天神」の神号が贈られました。

こうして、菅原道真は天神として広く信仰されるようになっていきます。

雷神から学問の神へ

道真が天神として祀られた当初は、怨霊を鎮めるという意味合いが強かったと考えられています。

道真の死後に起きた落雷や災害と結びつけられ、雷をもたらす恐ろしい神として畏れられていたのです。

その後、道真の優れた学識や詩才に注目が集まり、文芸や学問の神としての性格も強まっていきました。

江戸時代には寺子屋などでも天神像が祀られ、子どもたちが学問の上達を願う対象となります。

現在のように、受験や学業成就を願う神様として広く知られるようになったのは、こうした長い変化の先にあります。

天神という名前の中にある、二つの意味

ここまでを整理すると、天神という言葉には、異なる二つの意味があることが分かります。

一つは、古くから使われてきた「天神(あまつかみ)」。

天から降りた神々を指す言葉で、特定の人物や一柱の神を意味するものではありません。

もう一つは、菅原道真が神として祀られるようになってから広がった「天神(てんじん)」。

道真の霊を祀る信仰から始まり、やがて学問や文芸の神としても信仰されるようになりました。

現在、天神様と呼ばれている神社の多くは、菅原道真を祀る天満宮や天神社です。

けれども、天神という言葉そのものには、もっと古い歴史があります。

菅原道真が天神になったことで、それ以前からあった天神という言葉の意味まで、道真と結びつけて理解されるようになったのかもしれません。

神社の名前や御祭神を調べていると、同じ言葉でも時代によって意味が変わっていることがあります。

天神という名前も、その一つなのではないでしょうか。

参考

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