九州に残る「熊野」の名。熊野磨崖仏と熊本の「熊」はつながるのか

no image 豊のくにあと
  • URLをコピーしました!

九州を旅していると、「熊野」という名前に出会うことがあります。

大分県豊後高田市の熊野磨崖仏。北九州市や宇佐市などに残る熊野神社。そして、熊野磨崖仏のある地域には、現在も「熊野集落」と呼ばれる集落があります。

紀伊半島にある熊野三山から遠く離れた九州に、なぜ同じ「熊野」の名が残っているのでしょうか。

そして、もう一つ気になることがあります。

熊野の「熊」と、熊本の「熊」。

同じ漢字を使っていますが、この二つには何か関係があるのでしょうか。

今回は、九州に残る熊野の名を手がかりに、二つの疑問をたどってみます。

目次

熊野磨崖仏と熊野集落

大分県豊後高田市田染平野にある熊野磨崖仏。

岩壁には、高さ約7メートルの大日如来と、約8メートルの不動明王が刻まれています。いずれも国の重要文化財に指定されている磨崖仏です。

豊後高田市の案内によると、大日如来は11世紀頃、不動明王は12世紀頃の作とされています。

この二体は、同じ時代に造られたものではありません。

また、熊野磨崖仏へ向かう参道の周辺には、熊野集落があります。

日本遺産「鬼が仏になった里くにさき」の公式サイトでは、この集落について、中世に「今熊野山」と呼ばれた胎蔵寺の坊集落として成立したと説明されています。

かつて熊野磨崖仏を彫った仏師たちも住んでいたという伝承が残り、仏像制作に使う道具を作ったとされる鍛冶屋坊もあったといいます。

この集落は、熊野磨崖仏を厚く信仰してきた場所でもあります。

ここでは「熊野」という名前が、信仰だけでなく、人々の暮らしや集落の成り立ちとも結びついて残っているのです。

熊野信仰はどのように九州へ伝わったのか

紀伊半島の熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社は、熊野三山と呼ばれ、古くから多くの人々の信仰を集めてきました。

熊野の山々や滝、自然そのものへの信仰に、神道や仏教、修験道などが重なり、独自の熊野信仰が形成されていきます。

中世には、熊野御師や先達と呼ばれる人々の活動によって、熊野信仰は各地へ広がりました。

御師は参詣者の祈祷や宿泊などを世話し、先達は参詣の案内や修行の指導を担いました。

こうした人々の活動を通じて、熊野信仰は紀伊半島から遠く離れた土地にも伝わっていきます。

九州各地に熊野神社が残っているのも、こうした信仰の広がりと関係していると考えられます。

ただし、各地の熊野神社が、いつ、どこから、どのような経緯で祀られるようになったのかは、それぞれの由緒を確認する必要があります。

同じ熊野の名がついていても、成立の背景まで同じとは限らないからです。

熊野磨崖仏にも、信仰が重なっていった痕跡が見られます。

大日如来像は11世紀頃の作とされる一方、不動明王像は12世紀頃の作とされています。地元の文化財資料では、この不動明王像について、12世紀後半頃にこの地へ熊野信仰が入ってきた際、その守り本尊として追刻された可能性が示されています。

一つの場所に、異なる時代の信仰が重なっていった様子がうかがえます。

熊野の「熊」と熊本の「熊」

ここでもう一つ、地名について考えてみます。

熊野と熊本。

どちらも「くま」という音を持ち、現在は「熊」の字が使われています。

熊本の地名は、もともと「隈本」と表記されていたとされています。

一般には、加藤清正が熊本城を築いた慶長12年(1607年)に、「隈本」から「熊本」へ改めたという説明が知られています。

その理由については、「隈」という字を避け、縁起のよい「熊」の字を用いたという説があります。

一方、熊野という地名の由来についても、いくつかの説があります。

「くま」という音を「隈」に通じるものとし、奥まった場所や山深い土地を意味するという考え方があります。

また、『古事記』には、神武天皇が熊野村に到着した際、大熊に出会ったという記述もあります。

ただし、これらは地名の由来についての説であり、熊野という地名の成立を一つの理由だけで説明できるわけではありません。

では、熊野と熊本の「くま」は、同じ由来なのでしょうか。

それとも、たまたま同じ音と漢字が使われているだけなのでしょうか。

現時点では、この二つの地名に直接のつながりがあるとは確認できていません。

漢字が共通していることと、地名の語源が共通していることは、分けて考える必要がありそうです。

九州に残る「熊野」という名前

九州の地図を眺めてみると、豊後高田市の熊野磨崖仏や熊野集落だけでなく、宇佐市や北九州市などにも熊野神社があります。

紀伊半島から遠く離れた九州に、これほど熊野の名が残っていることを、あらためて不思議に感じます。

そこには、紀伊から伝わった熊野信仰の広がりがあるのでしょう。

一方で、土地に古くからあった地名や信仰が、後から伝わった熊野信仰と重なった可能性もあります。

そして、熊野と熊本に共通する「くま」という音にも、まだ調べてみたいことが残っています。

地名や神社の名前は、その土地に残された小さな手がかりなのかもしれません。

同じ名前があるからといって、すぐに同じ由来だと決めることはできません。

けれど、地図の上に名前を置いてみると、これまで気づかなかったつながりや疑問が見えてくることがあります。

九州に残る「熊野」の名。

もう少し、各地を訪ねながら見ていきたいと思います。

参考資料

  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

ぶぜんノートのアバター ぶぜんノート フォトライター

豊のくにあと運営者。
福岡県と大分県の県境エリアで活動しているフォトライターです。
活動エリアは、北九州から東〜中津〜宇佐〜国東半島の北西部。
地域の古い痕跡を歩いて探し、歴史サイト「豊のくにあと」を運営しています。

古民家図書館TSUDURI主宰

気になったもの

神社や地域を歩き、調べるなかで気になったものを記録しています。
右三つ巴紋、鬼、菊、御祭神など気になったものをまとめたページはこちらから。

地図から見えてきたこと

宮地嶽神社、宇佐神宮、高良大社。
訪ねた場所を地図に置いてみると、そこにひとつの形が見えてきました。

考察について

当サイトでは、現地での観察や文献資料をもとに、歴史について考察しています。

記事には、確認できた事実のほか、複数の事例から見えてきたことや、現時点では確かめられていない仮説も含まれます。

事実と考察を区別しながら記録していますが、すべての仮説が歴史的に裏付けられているわけではありません。

ひとつの視点、ひとつの問いとしてお読みいただければ幸いです。

目次