平安時代初期、日本から唐へ渡り、仏教を学ぼうとした最澄。
延暦23年(804年)、最澄は遣唐使の一員として海を渡りました。

以前の記事では、最澄が宇佐神宮で八幡大神に渡海の安全を祈願したという伝承を取り上げました。
調べていくと、最澄が祈りを捧げた場所は、宇佐神宮だけではありませんでした。
福岡県内にも、最澄の渡海に関わる記録が残る神社があります。
太宰府市の竈門神社と、田川郡香春町の香春神社です。
二つの神社には、どのような記録や伝承が残されているのでしょうか。
竈門神社。遣唐使船四隻の無事を祈った最澄
太宰府市にある竈門神社。
宝満山の山麓に下宮、山頂に上宮があり、古くから大宰府の鎮護と関わってきた神社です。
現在の宝満山は、かつて竈門山とも呼ばれていました。
最澄が唐へ渡る前に訪れたのは、この山にあった竈門山寺です。
『扶桑略記』や『叡山大師伝』には、延暦22年(803年)閏10月23日、最澄が大宰府の竈門山寺で、遣唐使船四隻の航海の無事を祈り、薬師仏四体を造ったことが記されています。
薬師仏は、それぞれ高さ六尺余り、現在の寸法にすると約1.8メートルほどだったとされます。
また、法華経・涅槃経・華厳経・金光明経などの経典を講じたことも記録されています。
遣唐使船は四隻編成でした。
当時の航海は、荒天や海流によって船が難破する危険を伴うものでした。最澄は自分自身の渡海だけでなく、船団全体の無事を願って祈りを捧げたのです。
竈門山寺は、現在の竈門神社周辺にあった神宮寺と考えられています。
神社と寺院が一体となっていた時代の姿を、ここにも見ることができます。
香春神社。神のために寺を造り、経を読んだ
もう一つ、最澄の渡海に関わる記録が残るのが、福岡県田川郡香春町の香春神社です。
香春神社は、香春岳の南麓に鎮座しています。
『続日本後紀』承和4年(837年)12月の条には、豊前国田河郡の香春岑神について、次のような記述があります。
延暦年間、遣唐請益僧の最澄が自らこの山に赴き、神の力によって無事に海を渡れるよう祈った。
そして、山の麓に神のための寺を造り、経を読んだ。
その後、草木が生い茂り、神の霊験が現れたようになった。
という内容です。
ここで注目したいのは、最澄が渡海の安全を祈っただけではなく、神のために寺を造り、読経したと記されていることです。
香春の神と仏教が、最澄の時代から深く関わっていたことがうかがえます。
この記録は、最澄の時代から約30年後の837年に、太宰府から朝廷へ報告されたものです。
最澄の行動が後世の伝承だけでなく、比較的早い時期の記録にも残っている点は興味深いところです。
香春の神は、新羅から来た神だったのか
香春神社には、三柱の神が祀られています。
- 辛国息長大姫大目命
- 忍骨命
- 豊比咩命
『続日本後紀』には、香春の神々がもともと木の生えない石山に鎮座していたことも記されています。
また、『豊前国風土記』の逸文には、新羅の国から神が渡ってきて、この地に住み着いたという伝承が残っています。
香春神社の祭神である辛国息長大姫大目命は、この新羅から来た神と関係づけられています。
さらに、『八幡宇佐宮御託宣集』には、最澄が宇佐宮で八幡大神の示現を受け、香春の神を訪ねるよう告げられたという物語が記されています。
その神は、新羅・大唐・百済の事情をよく知る神として語られています。
香春の神が大陸の事情に通じているという説明は、渡海を目指す最澄にとって、特別な意味を持つものだったのかもしれません。
ただし、これは鎌倉時代に編纂された『八幡宇佐宮御託宣集』に記された伝承です。
最澄が実際にどのような言葉を交わしたのか、当時の出来事をそのまま記録したものではありません。
古い記録と後世の伝承を分けて見ておきたいところです。
帰国する最澄を守った三つの神仏
『八幡宇佐宮御託宣集』には、最澄が唐から帰国する際の、もう一つの物語が記されています。
最澄の乗った船が、帰国の途中で風波に遭い、危険な状態になりました。
そこで祈りを捧げると、三つの神仏が現れ、船を守ったといいます。
その姿は、それぞれ異なっていました。
八幡大菩薩は天童となって現れる。
香春大明神は碇石となって船の綱をつなぎ止める。
竈門大菩薩は大竜となって船を背負う。
三つの神仏が力を合わせ、最澄の船は無事に岸へたどり着いたと伝えられています。
宇佐神宮、香春神社、竈門神社。
それぞれ別の場所に鎮座する神々が、一つの渡海の物語の中で結びついています。
この話は、最澄の時代から数百年後に編纂された『八幡宇佐宮御託宣集』に記されたものです。
史実としてそのまま受け取るのではなく、中世の人々が三つの神仏の関係をどのように捉えていたのかを伝える物語として読むことができます。
海を渡るために、各地で祈った最澄
最澄が唐へ渡る前に訪れた宇佐神宮、香春神社、竈門神社。
それぞれに残る記録を見ていくと、渡海の安全を願う祈りが、九州北部の複数の場所に残されていることが分かります。
竈門山寺では、遣唐使船四隻の無事を願って薬師仏が造られました。
香春では、神のために寺が造られ、読経が行われました。
宇佐では、八幡大神への祈願と、帰国後の法華経の説法が伝えられています。
そして、後世に編纂された『八幡宇佐宮御託宣集』では、三つの神仏が最澄の渡海を守る物語として描かれています。
以前は、それぞれの神社を別々の場所として見ていました。
しかし、最澄の渡海という一つの出来事を手がかりにすると、宇佐から香春、太宰府の竈門山へと、いくつもの場所がつながって見えてきます。
それぞれの土地に残された記録を、もう少し丁寧に見ていきたいと思います。
参考記事
1. 『続日本後紀』承和4年(837年)12月条
- 香春神と最澄の祈願、神のための造寺・読経について記録されています。
- 國學院大學デジタルミュージアム|辛国息長大姫大目命神社
2. 『扶桑略記』延暦22年(803年)閏10月23日条
- 最澄が竈門山寺で薬師仏四体を造り、遣唐使船四隻の無事を祈った記録です。
- 九州国立博物館|竈門山寺跡
3. 『叡山大師伝』
- 最澄の生涯や入唐に関する伝記資料です。竈門山寺での祈願についても記されています。
- 九州の神社|竈門神社
4. 『八幡宇佐宮御託宣集』
- 宇佐八幡、香春神、竈門神の関係や、最澄の帰国時の守護についての物語が記されています。
- 茨城大学デジタルコレクション|八幡宇佐宮御託宣集
- 八幡宇佐宮御託宣集の本文・解説
5. 香春神社の由緒・地域資料
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