素朴な疑問でした
「なぜ宇佐神宮とは逆向きの巴紋(右三つ巴紋)があるんでしょうか?」
私がこれまで巡ってきた北部九州の神社のなかに、宇佐神宮とは逆向きの巴紋があることに気づき、自分で調べてもはっきりしたことは分からなかったので、歴史の専門家に尋ねたことがあります。


しかし答えは得られませんでした。
というより、「考えたこともありません」「さぁ、何ででしょうね」「単に間違ったんじゃないですか」と、あまり重要と思われない方が多かったように思います。
自分の説明の拙さのせいだったのかもしれません。
しかし右三つ巴紋がある神社が複数存在すること。
筑後エリアの正八幡宮も右三つ巴紋のところが多いとは聞くことができました。
考える余地はあるのではないか_素人考えではそう思いました。
元々自分がプログラマーとして働いたことがあったので、「これは異常値ではないか」という直感に似ていたかもしれません。


しかし自分がそう思っていても、専門家からの返答は「考えたことがない」「さぁ」。
なので、どうもスッキリしません。モヤモヤが残りました。
また、右三つ巴紋に関係しそうな豊前エリアの貴船神社の多さについて尋ねると
「昔は水不足が多かったから、それで多いんじゃないですか。ため池多いし」と言われました。
ですが大きな河川沿いにもそれこそ沢山の貴船神社があるのです。

かつてプログラマー時代に、あまり細かく考えずに、雑なプログラミングやデバッグをしたとき、上司から叱られた時の言葉が浮かびます。
「なぜこのコードだと動かないのか、なぜかを確認しないとだめでしょう」
「『無い』と最初から思うな、あらゆる事象を『ある』かもしれないと前提を変えて確かめることが大切」
「なぜ、できないか」を説明できるか、本当に無いといえるのか。
それ以来、「それならその理由とは?」をつきつめるようになったからかもしれません。
古代史は文書が残っていない時代だから、証明に限界があり、既に調べ尽くされている。
だからこれ以上調べても仕方がない。
宇佐神宮系が絡むと大変ですよ__そんなふうに仰る方もいました。
大変正直な気持ちとしては「なぜそこを調べてくれないのか」でしたが、プログラマーの世界と、歴史研究の世界はおそらく構造が違うのだと思います。
その世界特有の理由があるのでしょうし、素人には見えないことが多いのかもしれません。
ただし以前、ある宮司さんから「歴史の専門家は史書にない時代のことは『無い』のだといいますが、神社は?古墳は?まつりは?字が無い時代から『ある』ではありませんか」と聞き、私もその言葉に頷きました。
だって目の前に「ある」のに。
理論上「無い」「証明できない」といって、目の前にあるものを無いことにするなんて、それこそこれだけ身近にある神社や古墳やまつりの否定ではないかと思ってしまいました。
文書が駄目なら、今の時代様々な技術はありますし、AIだって発達している。
今のあらゆる技術を組み合わせても、本当に調べられないものでしょうか。
本当に調べる余地ゼロなのか。
それでも専門家からいただいた言葉のうち「そもそもあそこに水が湧き出たら水の神様、川が近いところには川の神様、昔の人の認識はそんなものだったと思いますよ」
これは逆に謎を追うヒントになりました。
たしかに昔の人たちは字を書く人などほとんどおらず、日本最古の歴史書といわれる「古事記」「日本書紀」を書いた人などはまさにごくごく限られた一部の特別な人でした。
その後の時代においても、庶民まで字を読み書きできるようになったのは、長い日本の歴史のうちほんの最近ということになるでしょう。
ということは、たとえば水の神様がどんな神様なのかは、その土地に住んでいた氏族のルーツが影響しているのではないかと思ったのです。
神社では、氏族が崇拝されていた神や、ご先祖様が御祭神とされたり、時に敗者側を祟り神として祀られてきた歴史があるようです。
ただ明治時代に御祭神が一部書き換えられたり整理されたという情報もありますが、その書き換えに「人」が絡んでいるのなら、その書き換えは荒唐無稽なものではなく何らかの法則はあるのではないか、とも。
そして字で伝えられないのなら、何か形に残るもので表現していないかと。
それが右三つ巴紋であったり、二本の石柱であったり、神楽やまつりであったりしないだろうかと、色々な歴史のかけらをこのサイトに集めています。
以前、豊前市に滞在していたベルリン自由大学の研究生から聞いた話では、海外の研究者ほど、日本のニッチな歴史のテーマを研究しがたるというのです。

日本国内が無理だったとしても、海外でも可能性が、あるのなら。
同じように「なぜ?」と興味を持つ人が調べてくれたらいいなと、密かに願っています。
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