鬼の伝説を追って、豊前市明神の厳島神社へ
鬼の伝説を追って、豊前市明神の厳島神社を訪れました。

きっかけは、築上町の鬼塚に残る伝承でした。
鬼塚(湊)
現在は干拓地になっていますが、それまでは満潮時には浮き島となり、干潮時には砂州が現れ陸続きとなっていました。昔は「魂塚」「鬼塚」といわれ、行善和尚はここで白山大権現が現れ、その言葉により求菩提山を開いたといわれています。伝説では犬ヶ岳の鬼を卜仙が退治した時、鬼の胴は犬ヶ岳に、手足を明神の浜に、頭をここ鬼ヶ州(おにがしま)に埋めたといわれています。築上町歴史散歩ホームページ から引用
鬼の手足が埋められたという「明神」とは、どこなのでしょう。
そんな疑問から現地を歩いてみました。
何度も見た景色が厳島神社にも
境内に入ると、まず目に入ったのは池に浮かぶ島でした。

両側から橋が架かり、どこか三笠山神社で見た風景を思い出します。




狛犬ではなく狛鹿。

そして本殿には数多くの右三つ巴紋。
宇佐神宮の左三つ巴紋と逆向きの紋です。
ほとんどが左三つ巴紋なのに、時折気になる神社で現れるのです。
鬼の伝説だけを確かめに来たはずなのに、最近各地で見かける景色が、またここにも重なっていました。
厳島神社と祇園

さらに調べてみると、この厳島神社は八屋祇園の「明神区」の神社でした。
明神区は、神様を迎える船「御船」を担ぐ、八屋祇園でも由緒ある地区として知られています。
そこで、八屋祇園の歴史も調べてみました。
豊前市が発行している冊子「ぶぜんの祭り」には、
「八屋祇園の祖形となったのは中津祇園であることは間違いない」
と記されていました。
さらに、中津祇園の起源は、闇無浜神社の前身である豊日別宮の祭礼に始まるといいます。


鬼の伝説を追っていたはずなのに、調査は自然と中津へ続いていきました。
上祇園の始まりである「大江八幡神社」で見たもの
明神の厳島神社から車で約15分ほど、山国川を越えて。

中津市の大江八幡神社を訪れました。

境内には、本殿の右隣に宮地嶽神社もありました。
この宮地嶽神社も気になる神社です。

大江八幡神社は、中津祇園の「上祇園」が行われた元の神社です。
現在は、中津城の中津神社が「上祇園」を行っています。
最近読み返していた「下毛郡誌」には、この大江八幡神社が、現在とは異なる姿をうかがわせる記録が残されていますが、
「八幡宮」と称するようになったのは中世以降ですが、平安〜鎌倉期に郡内に広く知られた大社であったそうです。
また、「下毛郡誌」には闇無浜神社についても、現在とは異なる祭神の記録が記されていました。

歩くと、ここでも右三つ巴紋が目に入りました。


社務所にも。

隣のお寺の瓦にも。

鬼。
祇園。
宮地嶽神社。
逆向きの三つ巴紋。
一つひとつは別々のものと思っていた景色が、歩くたびに少しずつ重なっていきます。
明神の厳島神社の神楽について調べたら意外なことがわかる
この記事を書こうと思い、今度は豊前の神楽の日程を調べてみました。
すると、思い込んでいたことが一つ違っていました。
豊前の神楽シーズンは、明神の厳島神社から始まると思っていたのですが、実際には鳥越地区の須佐神社で奉納される神楽のほうが早いのです。
神楽の日程を確認すると、最初に奉納されるのは明神の厳島神社ではなく鳥越地区の須佐神社でした。
一方で、豊前市の公式サイトでは「豊前の神楽シーズン到来を告げるのが厳島神社」と紹介されています。
この違いが何を意味するのかは、今のところ私には分からないが、調べ直してよかったと思いました。
鬼を追って歩いていたはずなのに、最後に残ったのは「祭りは、どこから始まるのだろう」という新しい問いでした。
おわりに
最近、歩いていて感じることがあります。
新しい史料を見つけたわけではありません。
秘密の古文書を読んだわけでもありません。
自治体の資料や郷土誌、神社の由緒など、公開されている情報を一つずつ読み、実際に歩いて確かめているだけです。
でも、それぞれを地図の上に重ねてみると、今まで点だったものが少しずつ線になっていく。

その線をたどるたびに、この土地を見ていたつもりで、まだ何も見えていなかったことに気づかされます。
だから私は、もう少し歩いてみようと思います。


