国東半島の六郷満山を訪ねていると、寺院の境内に神社がある風景に出会います。
天念寺や無動寺にも、かつて「六所権現」と呼ばれていた神社があり、現在は身濯神社として残っています。
六所権現とは、どのような神社だったのでしょうか。
六所権現という名前
「権現」とは、仏や菩薩が人々を救うために、神の姿をとって現れたものとする考え方です。
神と仏を別々の存在として捉えるのではなく、結びつけて信仰する神仏習合のなかで広まっていきました。
そのため、各地の寺院には権現を祀る社が置かれ、寺院の守護や地域の信仰と結びついてきました。
「六所権現」という名前も、各地の寺社に見られます。
ただし、六所権現と呼ばれる神社の祭神が、全国共通の六柱だったわけではありません。地域によって祀られる神々や由緒は異なります。
国東半島の六所権現についても、名前だけから祭神の構成を決めることはできません。
天念寺に残る身濯神社
豊後高田市の天念寺には、講堂の隣に身濯神社があります。
豊後高田市の案内によると、ここは明治の神仏分離以前には六所権現社と呼ばれていました。
かつての天念寺の伽藍は、本堂・庫裡・講堂・六所権現社などで構成されていたといいます。
現在も講堂と身濯神社が並んで残り、廊下でつながっています。
寺院と神社が隣り合うこの風景からも、六郷満山における神仏習合の様子をうかがうことができます。
境内の案内板には、六所権現には八幡神と関わりの深い神々が祀られていたと記されています。
また、以前、天念寺の身濯神社について豊後高田市の学芸員の方に尋ねたところ、本殿で祀られているのは八大龍王だと教えていただきました。
八大龍王は、仏教に登場する龍王たちです。雨や水に関わる信仰とも結びついています。
六所権現と呼ばれていた時代の祭神構成が、現在どのように伝えられているのか。そこも気になるところです。
無動寺にも残る六所権現
もうひとつ、豊後高田市の無動寺にも、身濯神社があります。
無動寺は六郷満山の中山本寺のひとつで、現在の寺院の上手には、鎮守の身濯神社が残っています。
無動寺の歴史を調べると、現在の場所へ移る前には、下黒土の身濯神社周辺に寺院があったとされています。
また、鎌倉時代の記録には、小岩屋山の六所権現社の前で行われる祈祷についても記されています。
六所権現は、寺院の境内に付属するだけの存在ではなく、寺院の年間の祈祷や祭祀とも関わっていたようです。
現在の無動寺と身濯神社の姿からは、かつての寺院と神社が一体となった信仰のあり方を想像することができます。
身濯神社という名前
六所権現から身濯神社へ。
明治時代の神仏分離によって、寺院と神社の関係や名称が変わった場所は各地にあります。
天念寺の六所権現社も、現在は身濯神社という名前で残っています。
「身濯」という言葉からは、身を洗い清めることが思い浮かびます。
ただ、この名前がいつ、どのような経緯で付けられたのか、また、そこにどのような信仰が込められていたのかは、まだ分かりません。
身を清めるという言葉から、水の神や瀬織津姫を連想することもできますが、それだけで直接の関係があったとはいえません。
天念寺の身濯神社で八大龍王が祀られているという話も含め、個々の祭神や由緒を見ていく必要がありそうです。
国東半島の六所権現とは何だったのか
六郷満山では、寺院と神社が隣り合い、山岳修行や祈祷、地域の祭祀と結びついてきました。
天念寺と無動寺に残る身濯神社も、そうした信仰の痕跡のひとつです。
かつて六所権現と呼ばれていた神社には、どのような神々が祀られていたのでしょうか。
天念寺と無動寺では、同じような信仰が行われていたのでしょうか。
名前は残り、建物も残っています。
一方で、その由緒や祭神のすべてが、今に伝わっているわけではありません。
国東半島の寺院を訪ねるとき、境内にある神社にも目を向けてみたいと思います。
そこには、仏教だけでは捉えきれない、六郷満山の信仰の姿が残っているのかもしれません。
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