神社の境内や道端、お寺の片隅などで、ときどき見かける石塔があります。
「庚申」と刻まれたものや、怒ったような顔をした仏像、猿の姿が彫られたもの。
庚申塔(こうしんとう)です。
見かける機会は少なくありませんが、それが何のために建てられたものなのか、詳しく知る機会はあまりないように思います。
庚申塔の背景には、かつて庶民の間で広く行われていた庚申信仰があります。
その信仰をたどってみると、道教や仏教、神道の影響だけでなく、昔の人々の暮らしや地域のつながりも見えてきます。
60日に一度巡ってくる庚申の日
庚申とは、十干十二支の組み合わせのひとつです。
60日に一度、庚申の日が巡ってきます。
この日に関係する信仰のもとになったのが、中国の道教に伝わる「三尸(さんし)」という考え方です。
人間の体内には三尸という虫が住んでいるとされ、庚申の日の夜、人が眠ると体から抜け出して天に昇り、その人の罪や過ちを天帝に告げると考えられていました。
報告を受けた天帝は、その人の寿命を縮める。
そこで人々は、三尸が体から抜け出さないよう、庚申の日の夜は眠らずに過ごすことにしました。
これが「庚申待(こうしんまち)」です。
日本には古くから伝わり、平安時代には宮廷でも行われていました。その後、室町時代から庶民の間にも広がり、江戸時代には全国各地で盛んに行われるようになります。
庚申待は、人々が集まる夜でもあった
庚申待は、ひとりで夜を明かすものではありませんでした。
人々は「庚申講」と呼ばれる集まりをつくり、決められた日に仲間の家などへ集まりました。
掛け軸を掛けて祈り、食事を共にし、話をしながら夜を明かします。
地域によっては酒食を楽しんだり、昔話を語り合ったりすることもありました。
庚申待は、健康長寿や災厄除けを願う信仰であると同時に、人々が定期的に顔を合わせる機会でもあったのです。
地域の相談をしたり、農作業の知識を交換したり、互助の役割を担ったりすることもありました。
信仰と暮らし、そして人々の交流が重なっていたのですね。
青面金剛と三猿は何を表しているのか
庚申塔というと、青面金剛(しょうめんこんごう)の姿を思い浮かべる人も多いかもしれません。
青面金剛は、怒ったような表情をし、複数の腕を持つ仏教系の尊像です。
邪鬼を踏みつけた姿や、手に剣、弓、矛などを持つ姿で表されることがあります。
庚申信仰では、疫病や悪いものを追い払う力を持つ存在として信仰されるようになりました。
その足元や台座には、三匹の猿が彫られていることがあります。
「見ざる・聞かざる・言わざる」として知られる三猿です。
庚申の「申」が猿に通じることから、猿を神の使いとする日吉山王信仰などと結びつき、庚申塔にも猿が表されるようになりました。
また、鶏や日月が彫られた庚申塔もあります。
ただし、すべての庚申塔に青面金剛や三猿があるわけではありません。文字だけを刻んだものや、地蔵菩薩、阿弥陀如来などを表したものもあります。
庚申信仰は、時代や地域によってさまざまな神仏と結びつきながら広がっていきました。
なぜ庚申塔が各地に建てられたのか
庚申講の人々は、信仰を続けた記念や供養のために石塔を建てました。
そこには講の参加者の名前や、建立した年が刻まれていることもあります。
つまり庚申塔は、信仰の対象であると同時に、かつてその地域に庚申講が存在していたことを伝える記録でもあります。
道端に建てられた庚申塔の中には、道標を兼ねていたものもあります。
信仰のために建てられた石塔が、地域の道案内としても使われていたのです。
庚申塔を見ていると、昔の人々がどこに集まり、どのような暮らしをしていたのか、少しずつ想像できるようになります。
かつて盛んだった庚申信仰は、なぜ廃れていったのか
江戸時代に広く行われていた庚申待も、現在ではかつてのように各地で行われることは少なくなりました。
その背景には、明治時代の廃仏毀釈や、近代化に伴う信仰の変化があります。
また、庚申講は人々が定期的に集まることを前提とした習俗でした。
生活様式が変わり、地域の人々が集まる機会や共同体のあり方が変化するにつれて、講を維持することも難しくなっていきました。
戦後も続いていた地域はありますが、高齢化や担い手の減少などによって、活動を終えたり、形を変えたりした例もあります。
すべての地域で一斉に途絶えたわけではなく、今も庚申講を続けている地域はあります。
それでも、かつて庚申の日に人々が集まり、夜を明かしていた習俗は、少しずつ暮らしの中から姿を消していきました。
道端に残る石塔
今も、道端や神社の境内に庚申塔が残っています。
そこに刻まれた青面金剛や三猿、建立した人々の名前。
それらは、かつて庶民の間に広がっていた信仰と、地域の人々が一緒に過ごした時間を伝えています。
普段は通り過ぎてしまう石塔も、その背景を知ると、少し違って見えてきます。
この地域には、どのような庚申塔が残っているのでしょうか。
今度は、身近な場所にある庚申塔を、ひとつずつ見ていきたいと思います。


