福岡県宗像市鐘崎に鎮座する織幡神社(おりはたじんじゃ)。
主祭神は、神功皇后を助けた人物として知られる武内宿禰(たけのうちのすくね)です。
この神社の名前には、少し珍しい由来が伝えられています。
神功皇后の遠征に際して、武内宿禰が赤と白、二流の旗を織ったというものです。
旗を織るという話も気になりますが、なぜ武内宿禰が旗を織ったのでしょうか。
今回は、織幡神社に残る伝承と、社名の由来を調べてみました。
鐘崎の岬に鎮座する織幡神社
織幡神社は、宗像市鐘崎の北端にある佐屋形山に鎮座しています。
宗像大社の境外摂社で、地元では「シキハン様」と呼ばれて親しまれてきました。
『延喜式』神名帳にも記載されている神社です。
『延喜式』は平安時代に編纂された法令集で、神名帳には当時の神社名が記されています。延長5年(927年)に完成したもので、織幡神社の名前もそこに見えます。
宗像市の歴史的風致維持向上計画によると、宗像郡内で『延喜式』に記載された神社は宗像大社と織幡神社の二社でした。
現在の主祭神は武内大臣、すなわち武内宿禰です。
武内宿禰が織った赤白二流の旗
織幡神社の名前の由来について、宗像市の資料では、15世紀中頃に成立した『宗像大菩薩御縁起』の記述を紹介しています。
それによると、神功皇后が遠征した際、宗像大社の神様が「御長手(みながて)」という旗竿に付ける赤白の幡を、武内宿禰が織ったとされています。
この旗が「織幡」という社名の由来になったというのです。
ここで登場する「御長手」は、旗を取り付けるための竿です。
つまり、武内宿禰が織ったのは、旗竿に掲げる赤と白の二流の幡だったと伝えられています。
神社の名前に「織る」という文字が入っている理由が、この伝承に表れているようです。
なぜ赤と白の二色だったのか
伝承に登場するのは、赤と白の二流の旗です。
現在でも、祭礼や神事では紅白の幕や幟を見かけますが、この旗が現在の紅白の色の組み合わせと同じ意味を持っていたのかは分かりません。
また、赤と白それぞれにどのような意味が込められていたのかについても、今回確認できた資料からは分かりませんでした。
ここで大切なのは、赤白の旗が、織幡神社の名前の由来として伝えられていることです。
色の意味を後から当てはめるのではなく、まずは伝承に残された二色をそのまま記録しておきたいと思います。
927年の記録と、15世紀の伝承
もう一つ、気になることがあります。
織幡神社は『延喜式』神名帳に記載された古社です。つまり、927年にはすでに「織幡神社」という名前が記録されていました。
一方、赤白二流の旗を武内宿禰が織ったという社名の由来は、15世紀中頃に成立した『宗像大菩薩御縁起』に見られると、宗像市の資料は説明しています。
この二つを並べると、少し見方が変わります。
神社名が記録された時期と、その名前の由来を伝える物語が記された時期には、数百年の隔たりがあります。
もちろん、伝承そのものが15世紀に初めて生まれたという意味ではありません。以前から語り継がれていた可能性もあります。
ただ、現在確認できる資料では、社名の由来としての旗の話は、後の時代に成立した縁起に記されているということです。
織幡神社に残る旗の伝承
武内宿禰が赤白二流の旗を織り、それを宗像の神様の旗竿に付けた。
それが織幡神社の名前の由来になったと伝えられています。
神社の名前には、こうした古い物語が残されていることがあります。
今回の話も、神功皇后の遠征が実際にどのように行われたのかを証明するものではありません。
しかし、15世紀中頃の『宗像大菩薩御縁起』に記された伝承として、武内宿禰と赤白二流の旗、そして織幡神社の名前が結びついていることは確認できます。
織幡神社を訪れたときには、社名に残る「織る」という文字にも目を向けてみたいと思います。
参考
- 宗像市『宗像市歴史的風致維持向上計画』 — 織幡神社の祭神、式内社としての記録、15世紀中頃の『宗像大菩薩御縁起』に記された社名の由来。特に74ページ付近。
- 「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブ「織幡神社」 — 『文徳実録』『三代実録』『延喜式』などに関する記録と、社記・縁起の伝承。
- コトバンク「織幡神社」 — 『日本歴史地名大系』による神社の位置、祭神、歴史の解説。
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