博多の住吉神社で見つけた「志賀大神」

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博多の住吉神社を訪れたとき、境内にある看板が気になりました。

「志賀神社福分小判」

という看板です。

そこには、

「この小判は、志賀大神を氏神とする豊の国(大分県)久住の志賀氏が宝籤に当籤した事を報恩感謝し、ご参拝の皆様にも『福』が授けられる事を願い、住吉神社の摂社である志賀神社に奉納建立したものです。」

とありました。

まず、私は「志賀大神」という名前に目が留まりました。

住吉神社の境内には、摂社として志賀神社があります。

住吉神社の公式サイトを見ると、志賀神社の御祭神は「綿津見大神」とされています。

つまり、ここでいう「志賀大神」は、これまで調べてきた志賀海神社の綿津見三神につながる神なのだろうか。

そんなことを考えました。

さらに看板には、

「住吉大神 志賀大神は黄泉の国から戻られた伊弉諾大神が黄泉の穢れを清らかな水で禊を行った際に、共にお生まれになられました。」

とあります。

これは、志賀海神社で見た説明とも重なります。

志賀海神社では、綿津見三神について、

「伊邪那岐命が筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原において禊祓をされた際に、住吉三神と共に御出現された綿津見三神」

と説明されていました。

住吉三神と綿津見三神。

別々の神でありながら、伊邪那岐命の禊の際に、ともに現れたとされる二組の海の神です。

そして、博多の住吉神社の中には、その綿津見大神を祀る「志賀神社」がある。

ここまでは、これまで調べてきたこととつながります。

ところが、もうひとつ気になることがありました。

この志賀大神を氏神とするのが、「豊の国(大分県)久住の志賀氏」だということです。

志賀海神社。

綿津見三神。

住吉三神。

博多の住吉神社。

そして、豊の国・久住の志賀氏。

これまで別々に見ていたものが、またひとつの場所でつながりました。

もちろん、ここから「志賀氏がどこから来たのか」「久住の志賀氏と志賀海神社との関係はどうなのか」といったことまで、今の段階で結論を出すことはできません。

ただ、博多の住吉神社を歩いていて、「志賀大神を氏神とする豊の国・久住の志賀氏」という名前を見つけた。

それだけでも、私には十分気になることでした。

点が、またひとつ増えました。

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福岡県と大分県の県境エリアで活動しているフォトライターです。
活動エリアは、北九州から東〜中津〜宇佐〜国東半島の北西部。
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