志賀海神社を調べていて、気になる神社がありました。
境内にある末社、「印鑰社」です。
現地の説明板によると、御祭神は、
久那土神
天磐楠船神
迦具土神
の三柱。
「不惣来社」「船玉社」「愛宕社」の3社が、雁の巣にあった航空隊の奉安殿移築とともに合祀された社だそうです。
ここで、少し不思議に思いました。
「印鑰」という名前です。
印鑰とは、朝廷から渡された「印」と「鑰(かぎ)」のこと。
高良大社にも「印鑰神社」という境内末社があります。
こちらの御祭神は、武内宿禰と菅原道真。
同じ「印鑰」という名前なのに、御祭神が違う。
なぜだろう。
そう思って、志賀海神社の印鑰社について、もう少し調べてみました。
すると、ネット上の記事の中に、印鑰社と「蘇我石川宿禰」について書かれているものがありました。
その記事では、「印鑰は朝廷から渡された印と鑰のことで、神功皇后の時代に朝廷の内蔵・大蔵の管理者であった蘇我石川宿禰を祀ることが多い」と説明されていました。
現地の説明板には、「蘇我石川宿禰」という名前は出てきません。
それなのに、「印鑰」という言葉を調べていくと、蘇我石川宿禰という人物が出てきた。
そこで、さらに調べてみました。
すると、熊本県八代市にも「印鑰神社」があることを知りました。
八代の印鑰神社のホームページには、次のような由緒が紹介されています。
武内宿禰の第3子とされる蘇我石川宿禰が、筑紫の凶徒を鎮めるために下向し、最後はこの地で亡くなったという伝承。
そして1198年、肥後国球磨の地頭職だった相良三郎名頼が、弟の八郎為頼に命じて、八代の北にある鏡ヶ池の近くに神社を造営し、蘇我石川宿禰の分霊を祀ったと伝えられています。
ここで、また一つ知らなかったことに出会いました。
蘇我氏は、武内宿禰の後裔と伝えられている。
私はこれまで、武内宿禰については何度も調べてきました。
けれど、蘇我氏とのつながりについては、ほとんど意識したことがありませんでした。
「古事記」などの系譜では、蘇我氏の祖先として蘇我石河宿禰が挙げられ、武内宿禰の子孫とされています。
もちろん、これは古代の系譜・伝承として伝えられているものです。
その系譜を、そのまま歴史的事実として確認できるということではありません。
でも、私にとっては新しい発見でした。
志賀海神社の印鑰社を調べる。
↓
「印鑰」という名前が気になる。
↓
調べていくと、蘇我石川宿禰という名前が出てくる。
↓
八代にも印鑰神社があり、そこでは蘇我石川宿禰がはっきりと祀られている。
↓
そして、蘇我石川宿禰は武内宿禰の子と伝えられている。
最初は、ただ「同じ印鑰なのに、どうして御祭神が違うんだろう」と思っただけでした。
そこから調べていくと、思ってもいなかった名前に行き着きました。
こういうことがあるから、私は神社を調べるのが面白いのだと思います。
まだ、これが何を意味するのかは分かりません。
ただ、知らなかったものが一つ見えてきた。
今回は、それを記録しておこうと思います。
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