貴船神社を調べていて、ずっと気になっていたことがあります。
高龗神と闇龗神。
貴船神社の説明では、呼び名は違っても同じ神とされています。
一説には、
高龗は「山上の龍神」。
闇龗は「谷底暗闇の龍神」。
同じ神なのに、
高と闇。
山上と谷底。
なぜ、こんな二つの名前で呼ばれているのだろう。
そんなことを考えていたとき、Xで、ある投稿を見つけました。
そこには、空海という名前について書かれていました。
「空」と「海」。
天と地のように、二つのものが対になっている。
さらに、空海を高野山へ導いたとされる高野明神について、
「高」と「野」。
そして「野」は、谷や窪地を意味する古い言葉「クラ」に通じる。
「クラ」は、闇龗の「闇(クラ)」にも重なる。
「高」は高龗に重なる。
そんな見方が書かれていました。
これは、あくまで一つの考え方です。
私も、この投稿を読んで「そうなのだ」と思ったわけではありません。
でも、読んだ瞬間に、「あれ?」と思いました。
高龗神と闇龗神のことではないだろうか。そう思ったのです。
高と闇
空と海。
天と地。
高と谷。
そして、
高と闇。
一方だけではなく、二つがあって一つになる。
そんな「対」の見方が、いくつも重なって見えてきました。
もちろん、
「高龗=天」
「闇龗=地」
と、そのまま当てはめていいのかは分かりません。
まだ、私にも分かりません。
でも、貴船神社の公式の説明にある、「山上の龍神」と「谷底暗闇の龍神」という言葉を思い出すと、高と闇という二つの名前には、何か意味があるのではないかと思えてきます。
一つのものを、二つから見る
考えてみれば、高龗神と闇龗神は、「二つの神」ではなく、「同じ神の二つの呼び名」とされています。
だとすれば、二つに分かれているのではなく、一つのものを、二つの側から見ているのかもしれません。
山の上から見る。谷の底から見る。
雨が降る。雨が止む。
水が地上に現れる。そして地中に蓄えられる。
一つの水の循環にも、いくつもの側があります。
それを別々のものとして見るのではなく、二つで一つとして捉える。
そんな考え方が、古い信仰の中にはあったのだろうか。そんなことを考え始めました。
「一対」という言葉
私は、神社を調べながら、「一対」という言葉が何度も気になっていました。
でも、それが何を指しているのかは、まだ分かりません。
ただ、高と闇。上と下。天と地。空と海。
二つのものが並んだとき、その二つを「別々のもの」として見るのではなく、二つで一つのものとして見る。
そんな見方があるのかもしれない。
貴船神社を調べ始めたことで、私は「一対」という言葉を、以前より意識するようになりました。
そして不思議なことに、このあと別の神社を見ていくと、また「二つ」が出てきます。
それは、貴船神社とは別の場所です。でも、なぜか少し似ている。
まだ、そのつながりをうまく説明することはできません。
だから、もう少し追ってみることにしました。



