これまで豊のくにあとで追ってきた「右三つ巴紋」「鬼」「菊(蓮華紋)」「海」のキーワードが揃っていた、日田市の大原八幡宮。
現地に立ってみて、大変気になることがありました。
社殿の真反対に向く社

大変立派な大原八幡宮の社殿。
この社殿の奥は回り込むことができたので行ってみました。

社殿の奥には小さな社が並んでいたのですが、ここで違和感。
社殿の真裏に社があったのです。


本来の向きとは真反対に社、そして菊(蓮華紋)。
神社の外にも同じ方向を向き、並ぶ石祠
少し離れた宮地獄神社に行こうと、神社の敷地を出たら、小さな石祠が並んでいました。

駐車場の奥、高くなっているところに稲荷神社らしき祠や、その他小さな祠が。

その祠群の裏を見ると、大原八幡宮の社殿と同様に、真反対の向きに向けられた石祠。
大原八幡宮の真反対の社が向く方向を確認したら、その先には「鬼塚」

コンパスで角度を測らなかったことが悔やまれますが、GoogleMapであらかた方向が分かりました。
南よりも少し西側の位置に降りていくと
「鬼塚(おんづか)」という史跡が見つかりました。
こちらの史跡については、実際に行った方のブログやGoogleMapのクチコミでも確認できました。
「山麓には大師堂や地蔵堂があり、また塚を取り囲むように山頂まで野仏」という記述もありました。
地域の方たちが守って来られたようですね。
神社の外の石祠が向いていた方角を確認したら、その先にはおそらく「久津媛神社(日田の守り神)」

次に神社の外の石祠の方角も確認します。
こちらはGoogleMapで確認はできませんでしたが、現場にいた感覚としては、大原八幡宮とは角度が違っていたように思いました。
もう少し、右寄り。
ということは、南よりわずかに東の「久津媛神社(日田の守り神)」が妥当かと思います。
日田エリアの一対とは「鬼」と「久津媛神」を示しているのでしょうか。
久津媛 ひさつひめ
「豊後(ぶんごの)国風土記」にみえる巫女(みこ)。
景行天皇が熊襲(くまそ)を討っての帰途,筑後(ちくご)(福岡県)生葉(いくは)の行宮(あんぐう)を出発して豊後(大分県)のある郡(こおり)に到着した際,代表してでむかえた。このことから久津媛の郡とよばれたが,のち転訛して日田(ひたの)郡になったという。
コトバンクから引用
宇佐市にも残る「鬼塚」
実は、これまで訪れていた宇佐市にも「鬼塚」がありました。

宇佐市の葛原古墳。
実はこの葛原古墳の元の名前は「鬼塚古墳」だったようなのです。
「大分県宇佐市大字葛原字鬼塚」という地名。
古墳の頂上、左側の石碑に「鬼塚古墳(削られているように見えます)」と刻まれているようですね。
ほかに「鬼塚碑」もあるようです。
おわりに
現地を歩き、史跡を巡り続けて、ようやく自分が感じていた疑問が解けてきたように思います。
特にこの日田の大原八幡宮に、疑問を解く大きな鍵がありました。
なぜ右三つ巴紋と左三つ巴紋があったのか。
右三つ巴紋はなぜ少なかったのか。
鬼とはどんな存在を示していたのかについては、また別の記事でお伝えします。



