なぜ左三つ巴紋が多く、右三つ巴紋が少なかったのか。大原八幡宮と長浜貴布祢神社で見た両方の三つ巴紋

【福岡県北九州市】小倉北区長浜町貴布禰神社 2026年4月撮影記録_境内社に右三つ巴紋と左三つ巴紋左右対象
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ここ数年、史跡巡りをして浮かんでいた疑問が、だいぶつながってきました。

国東半島の北端の伊美崎社で見つけた、宇佐神宮と逆の三つ巴紋(右三つ巴紋)」。

現段階の考察のまとめを以下に綴ります。

目次

日田市の大原八幡宮で見つけた多くの右三つ巴紋とわずかな左三つ巴紋

大原八幡宮

日田市の大原八幡宮。

この神社はかつて「大波羅」だったという情報を目にしたことがあります。

なぜ盆地の日田に、海?と思っていました。

日田市 大原八幡宮の鬼瓦と三つ巴紋

その建物に刻まれた多くの右三つ巴紋。

そのうちわずかですが、左三つ巴紋もありました。

右三つ巴紋と左三つ巴紋を両方見ることはこれまでもよくあり、そこまで注意していなかったのですが、今年になって、あるものを見てから意識が変わりました。

北九州市の長浜貴布祢神社で見た両方の向きの三つ巴紋

【福岡県北九州市】小倉北区長浜町貴布禰神社 2026年4月撮影記録_境内社に右三つ巴紋と左三つ巴紋左右対象

こちらの幕は、長浜貴船神社の隣の小さな社にかけられていたものです。

本殿側は左三つ巴紋でした。

このタイプを見たのは初めてだったのですが、もしかしたらこの一対にも意味があるのかもしれないと思いました。

大原八幡宮の外に置かれた社が向いた方角は、おそらく久津媛神社(日田の守り神)

前回の記事でお伝えしたとおり、大原八幡宮の境内の外に置かれていた小さな社が向いていた方角には、久津媛神社がありました。

日田市 大原八幡宮

同じ方向を向いて並ぶ石祠、そして稲荷神社。

日田市 大原八幡宮

よく見ると、稲荷神社の真裏に逆向きの石祠がありました。

稲荷神社とは、元は「水」の属性を持っていると認識しています。

食べ物は、水から生まれるからです。

つまりこの小さな祠が示しているのは、本来の御祭神が「水」に関する女神…だとします。

大原八幡宮の社殿の奥の社が向かっているのは鬼塚

日田市 大原八幡宮の菊(蓮華紋)

「菊(蓮華紋)」があるこの社は、大原八幡宮の社殿の真裏にありました。

向いた先には「鬼塚」。

鬼のお墓、という意味になります。

これらを見て推測すると、本来の御祭神は「鬼」であることを示しているのではないでしょうか。

右三つ巴紋が大原八幡宮に多かった理由

大原八幡宮の御祭神は大原足尼命。

大原足尼命は、古代の「先代旧事本紀」などに登場する伝説上の人物。

物部氏の祖神である饒速日命(にぎはやひのみこと)の末裔とされ、現在の福岡県(豊前・豊後)の国造を務めたと伝わっているようです。

豊のくにあと謎イメージ

これまで追ってきたキーワードの関連図です。

大原足尼命が饒速日命の子孫であるなら、安曇磯良のルーツであるともいえそうです。

そして大原八幡宮の他の御祭神は、饒速日命、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后。

法鏡寺 貴船神社 鬼瓦 菊

ここで宇佐市法鏡寺貴船神社で見つけた瓦の画像を見てみます。

雲、菊(蓮華紋)、鬼。

【宇佐市】法鏡寺・貴船神社で見つけた「菊」「右三つ巴紋」「鬼」「雲」「シャチホコ」

そして右三つ巴紋。

これらを見ると「雲」=「菊(蓮華紋)」=「鬼」=「右三つ巴紋」=「龍(貴船神社)」は、同じ系統の信仰を思わせます。

中津市の闇無浜神社、かつて「龍王神社」と呼ばれた神社の御祭神「安曇磯良」です。

大正元年に刊行された下毛郡誌に、闇無浜神社の情報が残されていました。

三つ巴紋は陰陽的な役割分担があった可能性も感じている

宇佐神宮の社紋は「左三つ巴紋」であると公式に発表されています。(巴紋の向きは諸説ありますが、宇佐神宮に対して逆向きなので、当サイトでは「右三つ巴紋」と呼んでいます)

宇佐神宮

宇佐神宮の御祭神といえば、八幡大神、比売大神(ひめのおかみ)、宗像三女神(むなかたさんじょじん)です。

そのうち比売大神は地主神であるとも公式に伝えられています。

その比売大神が、右三つ巴紋の対となる存在であるなら、左三つ巴紋が宇佐神宮の公式の紋となったことに矛盾が生じません。

長浜貴布祢神社では八大龍王の石碑と弁財天の石碑

【福岡県北九州市】小倉北区長浜町貴布禰神社 2026年4月撮影記録_八大龍王
【福岡県北九州市】小倉北区長浜町貴布禰神社 2026年4月撮影記録_境内社と長浜弁財天

なお、右三つ巴紋と左三つ巴紋両方揃っていた長浜貴船神社の小さな社の反対側には、長浜弁財天と八大龍王の石碑が残っていました。

現地で見たものを、現段階の考察として記録しておきます。

深く読みたい方は

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この記事を書いた人

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豊のくにあと運営者。
福岡県の東の端っこで、写真と文章を綴る人。

2021年に移住。フォトライターとして取材を重ねる傍ら、ひとりでこのメディアを立ち上げ、ZINEの制作・販売まで行っています。
拠点は、古民家を借りて開いた小さな図書館。
Webも、リアルな場所も。どちらも自分の「媒体」として、このエリアの魅力を発信し続けています。

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