福岡県築上町奈古に、葛城神社妙見宮という神社があります。
祀られているのは、天之御中主神・高御産巣日神・神皇産霊神の三柱。
妙見信仰と結びついた神社です。
神社に伝わる御縁起によると、承保3年(1076年)、葛城山の天降の峯に三つの大きな星が降り注ぎ、光り輝く童子が村人たちにお告げをしたといいます。
そのお告げに従い、三神を祀る祠を建てたことが、神社の始まりと伝えられています。
築上町教育委員会の「築上町歴史散歩」にも、葛城神社妙見宮の由緒が紹介されています。
妙見宮葛城神社は奈古、岩丸、水原の産土神で、初め岩丸の葛城山天降の峯(小川ダム東側の山頂)に九曜の星(妙見星)御遷座により創建されました。天正19年(1591)焼失により、奈古の地に移り、その後宝暦(1751~1763)の頃社殿を現在地に造営したようです。
築上町歴史散歩 から引用
もとは岩丸の葛城山、天降の峯に創建され、その後、天正19年(1591年)の火災を経て奈古へ移り、宝暦年間(1751〜1763年)頃に現在地に社殿が造営されたようです。
現在の場所から離れた山の上に、かつての信仰の始まりがあったのですね。
もうひとつ、気になっていることがあります。
この神社について、別の神社の神職の方から、かつて宇都宮氏が信仰していた神社だと聞きました。
宇都宮氏といえば、豊前国を治めた城井氏の名でも知られています。
豊臣秀吉の九州平定後、城井鎮房は黒田氏との対立を経て、中津城で命を落としました。
築上町には、今も宇都宮氏に関わる史跡が残っています。
ただ、葛城神社妙見宮と宇都宮氏の関係については、現時点では神職の方から聞いた話であり、具体的な記録や由緒はまだ確認できていません。
神社の名前にある「葛城」は、もともと神社があった葛城山に由来するものと考えられます。
では、その山はなぜ葛城山と呼ばれていたのでしょうか。
奈良の葛城山や葛城氏との関係があるのかどうかも、今のところ分かりません。
一言主神が現れる葛城山とは別に、豊前の地にも「葛城山」と呼ばれる場所があり、そこには星の降臨を伝える妙見宮がありました。
同じ名前を持つ場所に、どのような歴史があるのか。
まだ分からないことも含めて、ここに記録しておきます。
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