福岡県宗像市にある宗像大社辺津宮。
その東側、釣川を挟んだ対岸の山の中腹に、真言宗の寺院・鎮国寺があります。
私は以前、移住する前に、この二つの場所を何度も訪れていました。
宗像大社に参拝し、鎮国寺にも足を運ぶ。どちらも馴染みのある場所でしたが、当時は二つの場所の関係について、深く考えていませんでした。
ところが、改めて調べてみると、鎮国寺はかつて宗像大社の神宮寺として栄えた寺院だったことが分かります。
そして、現在も両者の間には、祭事を通じた交流が続いています。
神社と寺院。釣川を挟んで向かい合う二つの場所には、どのような歴史があったのでしょうか。
宗像大社の神宮寺だった鎮国寺
鎮国寺は、弘法大師空海が大同元年(806年)に開いたと伝えられる真言宗の寺院です。
宗像大社辺津宮から釣川を挟んだ東側の山の中腹に位置しています。
宗像市の資料によると、鎮国寺は中世に宗像大社の神宮寺として繁栄しました。
神宮寺とは、神社に付属して建てられた寺院のことです。
神仏習合の時代には、神社の境内やその周辺に寺院が置かれ、神に仕える人々と仏に仕える人々が、同じ信仰の場を支えていました。
鎮国寺も、宗像大社と深い関係を持つ寺院だったのです。
ただし、鎮国寺の成立については、空海の創建伝承とは別に、史料に基づく説明があります。
宗像市の歴史的風致維持向上計画では、江戸時代中期頃の『寺院帳』をもとに、弘長3年(1263年)、宗像大宮司長氏が土地と本堂を寄進し、僧の皇鑒によって寺が創建されたと説明しています。
また、鎮国寺が成立する以前にも、宗像神社の境内地には神宮寺があったとされています。
つまり、空海が開いたという伝承を持つ一方で、現在の鎮国寺につながる寺院の成立には、中世の宗像大宮司の支援があったことが分かります。
宗像五社の神々に対応する五体の仏像
鎮国寺の本堂には、「宗像五社本地仏」と呼ばれる五体の仏像が安置されています。
いずれも鎌倉時代から南北朝時代頃の作と考えられ、福岡県指定有形文化財となっています。
五体の仏像は、宗像五社の神々にそれぞれ対応しています。
| 神社・神 | 本地仏 |
|---|---|
| 沖津宮・田心姫神 | 大日如来 |
| 中津宮・湍津姫神 | 釈迦如来 |
| 辺津宮・市杵島姫神 | 薬師如来 |
| 織幡神社・武内宿禰 | 如意輪観音 |
| 許斐権現・三所権現 | 阿弥陀如来 |
これは、本地垂迹説に基づくものです。
本地垂迹説とは、日本の神々は仏や菩薩が人々を救うために姿を変えて現れたものだとする考え方です。
興味深いのは、この五体の仏像が、もともと鎮国寺にあったものではないということです。
宗像地域の文化財デジタルアーカイブによると、五体の仏像は、もともと宗像神社の宝塔院にあったものが、後に鎮国寺へ移されたとされています。
宗像三宮だけでなく、織幡神社や許斐権現まで含めた宗像五社の信仰が、五体の仏像として残されているのです。
鎮国寺は、宗像大社の神宮寺というだけでなく、宗像地域の神仏習合を今に伝える場所でもあります。
現在も続いている神社と寺院の交流
宗像大社と鎮国寺の関係は、過去のものになったわけではありません。
宗像市の資料には、現在も両者が互いの祭事に参列していることが記されています。
毎年10月1日から3日に行われる宗像大社の秋季大祭では、初日に鎮国寺の住職が玉串拝礼を行います。
一方、鎮国寺で毎年4月28日に行われる重要文化財・木造不動明王立像の御開帳には、宗像大社の神職が参列しています。
神社と寺院、それぞれの祭事に相手方の代表者が出席する関係が、現在も続いているのです。
神仏分離によって制度上は分かれた神社と寺院ですが、宗像大社と鎮国寺の間には、かつての関係を思わせる交流が残っています。
建物や仏像だけでなく、こうした人々の行き来にも、歴史が受け継がれているのかもしれません。
釣川を挟んだ二つの場所
改めて地図を眺めてみると、宗像大社辺津宮と鎮国寺は、釣川を挟んで向かい合っています。
辺津宮は釣川沿いの丘陵上にあり、鎮国寺はその対岸の山の中腹に位置しています。
現在の景色では、川と田畑、住宅地が広がっています。
しかし、古代のこの地域には、今とは異なる地形がありました。
世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の公式サイトによると、釣川の中下流域には、かつて入り海が広がっていました。
辺津宮がある場所についても、『日本書紀』では「海浜」と記されています。
辺津宮の起源となった下高宮祭祀遺跡も、釣川沿いの旧入り海に突き出した丘陵上にあります。
つまり、現在は川や陸地として見えている場所も、古代には海や入り海と深く関わる土地だったのです。
宗像三女神が海や川との関わりの深い神々として祀られてきたことを考えると、この地形も気になります。
周辺に残る古墳
もう一つ、最近になって気づいたことがあります。
以前は何度も訪れていた宗像大社と鎮国寺ですが、最近Googleマップを眺めていたとき、周辺に古墳があることに気づきました。
当時は、そこまで意識していませんでした。
調べてみると、辺津宮の周辺には、深田真塚古墳や上殿古墳、上高宮古墳など、複数の古墳が確認されています。
上高宮古墳は高宮丘陵の頂部に位置する円墳で、4世紀後半頃のものと考えられています。
また、世界遺産の公式サイトには、宗像地域の旧入り海の範囲と大型古墳の分布を示した図も掲載されています。
古墳が築かれた時代と、現在の宗像大社の祭祀が成立していく時代は異なります。
古墳があるからといって、後の宗像大社の信仰と直接つながるとは限りません。
ただ、古墳時代の人々も、この土地を生活や葬送の場として利用していたことは確かです。
海や川に近い場所、丘陵の上、そして入り海を見渡せる場所。
地図の上に古墳と宗像大社、鎮国寺を置いてみると、この地域が長い時間をかけて人々に利用されてきたことが見えてきます。
一つの土地に重なる歴史
宗像大社と鎮国寺。
この二つの場所には、異なる時代の痕跡が残っています。
古墳時代には、周辺の丘陵に古墳が築かれました。
古代には、釣川の入り海に面した場所で宗像三女神の祭祀が行われていました。
中世には、宗像大社の神宮寺として鎮国寺が栄え、宗像五社の神々に対応する本地仏が安置されました。
そして現在も、宗像大社と鎮国寺は、それぞれの祭事を通じて交流を続けています。
以前訪れたときには、神社と寺院をそれぞれ別の場所として見ていたのかもしれません。
けれど、改めて地図や資料を見直してみると、釣川を挟んだ二つの場所には、長い時間をかけて築かれてきた関係がありました。
古墳や旧入り海も含めて、この土地をもう一度歩いてみたいと思います。
以前は気づかなかったものが、今なら見えてくるかもしれません。
参考
- 宗像市|宗像市歴史的風致維持向上計画
- 福岡県文化財データベース|鎮国寺 宗像五社本地仏
- 宗像地域の文化財デジタルアーカイブ|鎮国寺宗像五社本地仏
- 宗像地域の文化財デジタルアーカイブ|鎮国寺本堂
- 世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群|宗像大社辺津宮
- 宗像市公式観光ガイド|鎮国寺
- 宗像市公式観光ガイド|宗像大社秋季大祭・みあれ祭
関連記事





