以前から、千手観音と十一面観音の姿が、どこか似ているように感じていました。
どちらも観音菩薩の変化した姿で、頭上に複数の顔を持つ像もあります。
そして、十一面観音について調べていると、瀬織津姫と習合した例があることを知りました。
では、千手観音も瀬織津姫と結びついていたのでしょうか。
今回は、二つの観音の違いと共通点、そして瀬織津姫との関係について調べてみました。
千手観音と十一面観音は、同じ観音菩薩の変化身
千手観音と十一面観音は、どちらも観音菩薩が人々を救うために姿を変えた「変化観音」の一つです。
ただし、同じ尊格というわけではありません。
十一面観音は、頭上に十一の顔を持つ観音菩薩です。
正面の顔だけでなく、頭上にさまざまな表情の顔を持つことで、あらゆる方向を見渡し、人々の苦しみを見逃さずに救う姿を表しています。
一方、千手観音は、千本の手と千の目を持つ観音菩薩です。
一つ一つの手に目があるとされ、どのような苦しみを抱えた人にも手を差し伸べる、広大な慈悲を表しています。
実際の仏像では、必ずしも千本の手が彫られているわけではありません。
京都の三十三間堂に安置されている千手観音像も、正式には「十一面千手千眼観世音菩薩」と呼ばれ、頭上に十一の顔を持ち、左右に四十本の手を広げています。
一本の手が二十五の世界を救うと考えることで、四十本の手を千本に見立てています。
つまり、千手観音の像には、十一面観音の特徴も備わっているものがあるのです。
これが、二つの観音の姿が重なって見える理由の一つでした。
十一面千手観音という姿
千手観音のすべてが十一面というわけではありませんが、日本でよく知られる千手観音像には、十一面を備えたものが多くあります。
岐阜市の乙津寺には十一面千手観世音菩薩が祀られています。
また、奈良国立博物館には、十一面観音像の内部から見つかった千手観音の画像が伝わっています。
十一面観音と瀬織津姫
では、瀬織津姫と十一面観音の関係はどうでしょうか。
岩手県の早池峰山は、瀬織津姫を祀る山として知られています。
早池峰の信仰には、山岳信仰や修験道、神仏習合が重なっています。
早池峰神社の由緒を紹介する資料によると、正安2年(1300年)、越後から訪れた円性阿闍梨が十一面観音を勧請し、早池峰大権現として崇敬したと伝えられています。
このように、早池峰の信仰には、瀬織津姫と十一面観音が結びつく背景があります。
ただし、現在の祭神と、かつての本地仏の関係を、そのまま一対一で結びつけるには注意が必要です。
時代によって祭祀の形や神仏の組み合わせが変わっている可能性もあります。
千手観音と瀬織津姫の関係もあったのか
さらに調べていくと、千手観音と瀬織津姫の関係を示す記録も見つかりました。
岩手県奥州市江刺にある新山神社です。
『岩手県神社名鑑』を参照した紹介記事によると、文政9年(1826年)の風土記には、当時の新山権現の本地仏が千手観音であったと記されているそうです。
同神社の祭神は瀬織津姫命とされています。
この記録が正確であれば、瀬織津姫を祀る神社において、千手観音が本地仏とされていた例があったことになります。
ただし、現時点では元の風土記や『岩手県神社名鑑』の該当箇所を直接確認できていません。
また、千手観音と瀬織津姫の関係が全国的に広く定着していたことを示すものでもありません。
早池峰周辺には十一面観音との関係が伝わり、奥州市江刺には千手観音を本地仏としたとされる新山権現の記録がある。
この二つを並べると、瀬織津姫と観音信仰の関係が、地域によって異なる形を取っていた可能性が見えてきます。
二つの観音を並べて見えてきたこと
千手観音と十一面観音は、別々の観音菩薩です。
けれども、千手観音の中には十一面を備えた姿があり、仏像の形としても重なり合っています。
そして、瀬織津姫との関係を調べると、十一面観音だけでなく、千手観音を本地仏としたとされる地域の記録も見つかりました。
ただし、それらが同じ理由で結びついたのか、あるいは同じ信仰の流れに属するのかは、まだ分かりません。
観音菩薩には、十一面観音や千手観音のほかにも、如意輪観音や馬頭観音など、さまざまな姿があります。
それぞれの観音が、どのような神と結びつき、どの地域で信仰されてきたのか。
瀬織津姫の神社を調べる中で、また一つ、気になる点が増えました。
参考資料
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