宮島を訪れると、町のなかを鹿が歩いています。
そして奈良にも、鹿がいます。
どちらも人の暮らしのすぐそばに鹿がいる場所ですが、その背景には、それぞれ異なる歴史があります。
奈良の鹿は、春日大社の神の使いである「神鹿(しんろく)」として知られています。
鹿島神宮から神様が白鹿に乗って奈良へやって来た。
そんな伝承が、奈良の鹿と春日大社を結びつけています。
では、奈良の鹿はいつから神の使いとされ、人々とどのように暮らしてきたのでしょうか。
鹿島から白鹿に乗って来た神
奈良の鹿の由来をたどると、春日大社の創建伝承に行き着きます。
春日大社の第一殿に祀られているのは、武甕槌命(タケミカヅチノミコト)。
もとは常陸国、現在の茨城県にある鹿島神宮に祀られていた神です。
春日大社の由緒によれば、奈良時代、平城京を守護するために武甕槌命が鹿島から奈良の御蓋山(ミカサヤマ)へ迎えられました。
そして神護景雲2年(768)、称徳天皇の勅命によって御蓋山の麓に社殿が造営され、鹿島の武甕槌命、香取の経津主命、枚岡の天児屋根命と比売神の四柱が祀られました。
これが現在の春日大社の御本社の始まりとされています。
ただし、武甕槌命が奈良へ迎えられたのは、768年の社殿造営より前のことです。
そして、この神の移動を語る伝承に登場するのが白鹿です。
武甕槌命は、白鹿に乗って御蓋山へやって来たと伝えられています。
この説話は、春日大社に伝わる由緒記『古社記』に記されています。
奈良国立博物館の解説によれば、説話に関わる記述は、文暦元年(1234)の具注暦の裏面に書かれた「時風置文」にも見られます。
つまり、768年に神が白鹿に乗ってやって来たことを示す同時代の記録ではありません。春日大社の創建をめぐる伝承が、後の時代に記録され、語り継がれてきたものです。
奈良国立博物館には、14世紀の「鹿島立神影図」が所蔵されています。
そこには、白鹿に乗る武甕槌命と、鹿島から付き従ってきたとされる中臣時風・秀行の姿が描かれています。
神が鹿に乗って奈良へ来たという物語は、絵画にも表され、春日信仰のなかで受け継がれてきました。
神の使いとなった鹿
この白鹿の伝承を背景に、鹿は春日の神の使いである「神鹿」として大切にされるようになりました。
春日大社の神域や奈良公園周辺に暮らす鹿は、単なる野生動物ではなく、神の使いとして特別な存在と見られてきたのです。
奈良県の「奈良のシカ保護計画」には、平安時代には春日大社に参拝した際、鹿に出会うと良いことが起こると考えられるようになったことが記されています。
鹿に出会うことそのものが、神との縁を感じさせる出来事だったのかもしれません。
ただし、鹿が大切にされてきたからといって、人間との関係が常に穏やかだったわけではありません。
神聖な存在として守られる鹿も、人の暮らしのなかでは、ときに困った存在でもありました。
神鹿をめぐる厳しい掟と暮らしの工夫
奈良では、神鹿を殺害した者に厳しい処罰が科されてきました。
奈良県の保護計画には、室町時代には神鹿を殺した者が死刑に処せられるほど、厳しく保護されていたことが記されています。
実際、神鹿を殺した者に対する処罰の記録も残っています。
鹿を傷つけることは、単なる動物の殺傷ではなく、神への冒瀆とも受け止められていたのでしょう。
一方で、鹿は人の暮らしに影響を与えることもありました。
江戸時代には、町中を歩き回る鹿が人にけがを負わせたり、鹿同士が角を突き合わせて傷ついたりすることが問題になりました。
そこで寛文12年(1672)、奈良奉行の命によって始められたのが「鹿の角切り」です。
現在も続く奈良の秋の行事ですが、その始まりには、鹿と人との間にあった現実的な問題がありました。
さらに、奈良町の周囲には「鹿垣(ししがき)」と呼ばれる柵や塀が築かれました。
鹿が町から外の村へ出て、田畑の作物を食べるのを防ぐためです。
江戸時代の奈良町絵図にも、町の周囲を囲む柵が描かれています。
神の使いとして大切にされる鹿も、農家にとっては作物を食べてしまう存在でした。
鹿を守ることと、人間の暮らしを守ること。
その両方を成り立たせるための工夫が、奈良の町の周辺には重ねられてきたのです。
春日山の森も守られてきた
奈良の鹿を考えるとき、春日山原始林の存在も見逃せません。
春日山は、春日大社の神山として大切にされてきた森です。
奈良市の解説によれば、承和8年(841)には狩猟と伐採が禁止されました。
その後も春日大社の神域として守られ、1955年には国の特別天然記念物に指定されています。1998年には「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産にも登録されました。
春日山の森は、単に木々が残された場所ではありません。
神の山として守られてきた森であり、春日大社の社殿や神鹿とともに、奈良の景観を形づくってきた場所です。
ただし、奈良の鹿がすべてこの森のなかだけで暮らしているわけではありません。
奈良公園やその周辺を含む広い範囲で、人間の生活と関わりながら生息しています。
戦後、約80頭にまで減った鹿
長い間、神鹿として大切にされてきた奈良の鹿ですが、近代以降には大きな危機もありました。
一般財団法人奈良の鹿愛護会の記録によると、戦中・戦後の混乱によって密猟が進み、1946年には約80頭にまで減少しました。
奈良県の資料には、戦前には約900頭いた鹿が、終戦後には79頭になったと記録されています。
戦争による社会の混乱や食糧事情などが、鹿の数が大きく減った背景にありました。
その後、保護活動が進められ、1957年(昭和32年)9月18日、「奈良のシカ」は国の天然記念物に指定されます。
天然記念物に指定されたのは、春日大社の神の使いという信仰だけが理由ではありません。
文化庁の指定解説では、春日大社境内や奈良公園、その周辺に群れをつくり、人の近くで生息する野生動物の群集として、類例が少ないことも評価されています。
神鹿としての長い歴史と、人の近くで暮らす野生動物としての特徴。その両方が、奈良の鹿の価値として認められているのです。
宮島の鹿と奈良の鹿
ここで、宮島の鹿との違いにも触れてみます。
宮島も、鹿が人の暮らしのすぐそばにいる場所です。
ただ、奈良の鹿とは、その歴史的背景が異なります。
奈良では、春日大社の神が白鹿に乗ってやって来たという伝承を背景に、鹿そのものが神の使いとして大切にされてきました。
一方、宮島では、島全体が厳島神社の神域として捉えられてきた歴史があります。
同じように鹿が人の近くで暮らしていても、その土地で鹿がどのような存在とされてきたのかは、それぞれ異なります。
鹿がいる風景だけを見れば似ているようでも、その背景にある信仰や人との関わりは一様ではありません。
神の使いであり、野生動物でもある
現在の奈良公園の鹿は、国の天然記念物に指定されている野生動物です。
人に慣れている姿を見ると、飼育されている動物のように感じるかもしれません。
しかし、奈良県も鹿を野生動物として扱い、むやみに触れたり、追いかけたり、鹿せんべい以外の食べ物を与えたりしないよう呼びかけています。
奈良の鹿は、神の使いとして信仰されてきた歴史を持っています。
その一方で、農作物を食べることもあれば、人にけがをさせることもある。人間の都合だけで考えれば、扱いの難しい野生動物でもあります。
白鹿に乗ってやって来た神の伝承。神の使いとしての保護。農作物を守るための鹿垣。戦後の減少と天然記念物への指定。
奈良の鹿をめぐる歴史をたどると、信仰と自然、そして人間の暮らしが、一つの場所で重なり合ってきたことが見えてきます。
今、奈良公園を歩く鹿の姿にも、そうした長い時間が積み重なっているのです。
参考資料
- 春日大社「春日大社について」
- 春日大社「御本社(大宮)〜紀伊神社」
- 奈良国立博物館「鹿島立神影図」
- 奈良県「天然記念物『奈良のシカ』保護計画」
- 奈良の鹿愛護会「保護の歴史」
- 奈良の鹿愛護会「鹿の角きり」
- 奈良市「ならまち歳時記~10月~ 鹿の角きり」
- 奈良市「春日山原始林」
- 文化庁「国指定文化財等データベース 奈良のシカ」
- 奈良市「史料保存館デジタルギャラリー」
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