神社の記録がずっと伝えていた
先日、久しぶりに訪れた福津市の宮地獄神社。
移住してからは一度、初詣で訪れたぐらいでした。
移住した豊前エリアで宇佐神宮と逆向きの三つ巴紋を見つけた頃から始まった、歴史への違和感。
気になる箇所を辿り続け、海洋民族「安曇族」と、赤い石「丹」を扱う一族のつながりが見えてきたように感じていました。
なので、安曇族の本拠地エリアと思われる福岡県西部の「海」にまつわる神社へと、連休を利用して、三か所訪れました。
住吉神社、志賀海神社、宮地獄神社へと。
その日最後に宮地獄神社に訪れて、久しぶりにゆっくりと巡ってみました。

奥之宮まで行くのも久しぶり。

不動神社。

宮地岳中腹。
不動神社は、約1700年前に造られた日本最大級の横穴式石室古墳(宮地嶽大塚古墳)を本殿とし、不動明王をお祀りする全国的にも珍しい神社です

その不動神社の横の看板を見て、以前の看板と違っていたことに気付きました。
内容は覚えていませんが、もっとレトロだったような…
気になって帰宅して、当時の看板の写真を確認したら、驚きました。
これまで追っていたことが、書かれていたのですから。

宮地嶽横穴式石室古墳と奥之宮不動神社
当不動明王は宮地嶽巨石古墳に鎮座されています。
巨石古墳とは「横穴式石室古墳」で寛保元年(一七四一) 宮地山が鳴動(地震)し、その口が開きました。
以来、あまりに荘厳な墳墓からか、修験者たちが不動明王をお祀りしました。そこで当社の不動明王は岩屋不動とも称され篤い信仰を 頂いております。
この古墳は玄武岩を五~六m四方の大きさに切りだし、十三個を左右上下に組み合わせて作られた石室を持ち、全長は二十三mを誇る日本一の大きさで、古墳時代の終焉六世紀~七世紀にかけて されたものです。
古墳内部からは三百数十点余りの宝物が出土、瑠璃(ガラス)や黄金の鎧、黄金の天冠、特大金銅装頭椎大刀等、特に豪華絢爛な 二〇点が国宝の指定をうけています。この様な所から地下の正倉院とも称され、同時代の奈良・飛鳥の石舞台の主である蘇我馬子公の墳墓よりも規模が大きい事から、ここ北部九州一帯を治めた埋葬者の絶大なる権力を垣間見る事が出来ます。
宮地嶽の眼下には玄界灘の島々が見渡せ、白砂青松の海岸には日本一綺麗な夕陽が沈みます。「相ノ島」はそこに位置しています。この相ノ島こそ、海人族・阿曇の聖地です。そして宮地嶽古墳の巨石は、この相ノ島から切り出された玄武岩ですし、相ノ島の積石古墳と同質の石です。
阿曇の祖は磯良公と申され芸能の祖とも言われています。その末裔には磐井の戦で名を馳せた「つくしの磐井」が居ます。そして宮地獄古墳には阿曇の人々に繋がる九州王朝の長が祀られています。 そんな”つくしの磐井に繋がる「つくし舞」 明治初年頃まではこの古墳内部で舞われていましたが長らく途絶え、昭和五十八年に当 社にて再興・伝承されています。
奥の宮不動神社の祭典
一月二十八日 初不動祭(孝養ロウソク神事) ご開門
二月二十八日 春季大祭(無病息災ぜんざい祭) ご開門
七月二十八日 夏季大祭 ご開門
十月二十二日 つくし舞奉納(本殿前)
毎月二十八日はお不動尊命日祭
宮地獄神社の参道で見える絶景「光の道」、太陽が真上にくるのは海人族・阿曇の聖地「相ノ島」。
阿曇の祖は、磯良公(安曇磯良)。
磯良公の末裔は、「つくしの磐井」。
ここにちゃんと、書かれていました。
なぜ気づかなかったのでしょう。
もしかしたら、当時読んだ時に違和感を感じたかもしれません。
でも、なぜ磯良公と「つくしの磐井」がつながるのか、さっぱり見えていなかったから、違和感を持っても消えていたんじゃないかと思います。
フィールドワークはこれからも続く
自分のなかで、つながっていたんだという実感が得られはしたものの、まだまだ痕跡を拾い続けたい気持ちがあります。
以前は見えても気づけなかったことが、今なら目に入ってくれるかもしれません。
石祠に残された菊の紋章、宇佐神宮と逆向きの三つ巴紋、それに、まだ気づいていない「光の道」も九州のどこかにあるかもしれません。




English Summary
An English summary has been added below to share these records with readers around the world.
Please note: This summary was generated using AI translation (DeepL or Gemini). While we strive for accuracy, some technical terms or subtle nuances of local history may differ from the original Japanese.
Topic: Fragments of a forgotten lineage: Connecting Tsukushi-no-Iwai to the Azumi maritime clan through a lost shrine record.
Summary: While revisiting Miyajidake Shrine in Fukutsu City, the author noticed that a descriptive signboard at the Okunomiya Fudo Shrine had been replaced with a newer version. Upon reviewing a past photograph of the original sign, a significant discovery was made: the old text explicitly stated that Tsukushi-no-Iwai, a powerful leader of ancient Northern Kyushu, was a descendant of Isora, the ancestral deity of the Azumi people (a seafaring clan).
The record also noted that the massive basalt stones used in the shrine’s ancient burial mound were brought from Ainoshima, a sacred site for the Azumi. This finding provides a crucial link between the maritime clan and the historical figure of Iwai, supporting the author’s ongoing fieldwork regarding the “hidden” history of Northern Kyushu and the potential existence of an independent regional power.



