神楽や神社の祭礼に伝わる古い舞を調べていると、安曇磯良(あずみのいそら)という名に出会うことがあります。
安曇磯良は、志賀海神社の祭神とも関係する、海にまつわる神として伝えられてきました。
その磯良が、神楽の音に導かれて海中から現れ、舞を舞ったという伝承があります。
今回は、安曇磯良と神楽、そして各地に残る細男舞(せいのおまい)について調べてみました。
神楽に招かれて現れた安曇磯良
神功皇后が海を渡ろうとしたとき、航海に必要な干珠・満珠を得るため、海神の協力が必要になったといいます。
そこで登場するのが、海の道に詳しい安曇磯良です。
伝承によると、磯良は長く海底に暮らしていたため、顔に貝や海藻が付いていました。その姿を恥じて、なかなか人前に現れようとしません。
そこで神楽を奏して磯良を招いたところ、磯良は海中から現れました。
白い衣をまとい、顔を袖や白布で覆い、首から鼓を掛けて舞ったと伝えられています。
この舞が「細男舞」と呼ばれるものです。
磯良は、神功皇后の航海を助けるために干珠・満珠をもたらしたとされます。
志賀海神社に伝わる「羯鼓の舞」
福岡市東区の志賀島に鎮座する志賀海神社には、神幸祭に奉納される古い芸能が伝わっています。
そのひとつが「羯鼓の舞」です。
羯鼓とは、胸に掛けて打つ鼓のこと。
舞手は顔を白布で覆い、胸に羯鼓を吊るして舞います。
福岡市の文化財解説では、この舞は「磯良の示現を表した所作」とされています。また、別名を「磯良の舞」ともいいます。
志賀海神社の祭礼には、龍の舞や八乙女の舞も伝わっています。
神功皇后の伝承と結びついたこれらの芸能は、神社の縁起を祭礼のなかで表現するものとして、現在まで受け継がれてきました。
各地に伝わる細男舞
安曇磯良にまつわる舞は、志賀海神社だけに残されているわけではありません。
奈良の春日若宮おん祭に伝わる細男、対馬の木坂八幡宮に伝わった磯良舞、そして福岡県吉富町の八幡古表神社や大分県中津市の古要神社に伝わる傀儡子の舞など、各地に関連する芸能が見られます。
細男舞は、顔を白布で覆い、鼓を持って舞う姿が特徴です。
ただし、地域によって舞の形や伝承は異なります。人が舞うものもあれば、人形によって演じられるものもあります。
同じ磯良の伝承に関係する芸能であっても、それぞれの土地で異なる形をとって受け継がれてきました。
宇佐八幡宮の放生会と磯良舞
大分にも、磯良舞に関する記録が残されています。
文化庁の民俗文化財調査資料には、かつて府内八幡宮(現在の大分市)の放生会で、御幸の前に浜殿で朝神楽が行われ、その舞が磯良舞だったという記録が紹介されています。
また、行橋市史には、宇佐八幡宮の放生会で行われていた細男試楽について記されています。
その説明では、神功皇后の伝承に登場する安曇磯良が、神楽によって海中から呼び出され、羯鼓を掛けて舞ったとされています。
宇佐八幡宮の放生会に関係する芸能をたどると、福岡県吉富町の八幡古表神社や、大分県中津市の古要神社に伝わる傀儡子の舞にも行き着きます。
人形によって演じられる舞のなかにも、細男舞と関係する芸能が残されています。
神楽と安曇磯良をたどって
安曇磯良は、海の案内者として神功皇后の伝承に登場します。
そして、神楽によって呼び出され、顔を隠し、鼓を掛けて舞ったと伝えられてきました。
その物語は、志賀海神社の羯鼓の舞や、各地に伝わる細男舞など、さまざまな芸能のなかに残されています。
神社の祭神や由緒を調べているときには、気づかなかったつながりです。
けれど、神社の祭礼で何が舞われてきたのかを見ていくと、安曇磯良という名が再び現れます。
海に関わる神として語られる磯良と、神楽や舞の伝承。
各地に残る芸能を訪ねながら、その土地にどのような物語が伝えられてきたのか、もう少し見ていきたいと思います。
参考資料
1. 文化庁「志賀海神社神幸祭の芸能」文化遺産データベース
「羯鼓の舞」は別名「いそらの舞」とも呼ばれること、磯良・細男などの古代芸能の資料として価値があることが記されています。
2. 福岡市「志賀海神社神幸行事の芸能」
龍の舞、八乙女の舞、羯鼓の舞の説明があります。羯鼓の舞について、磯良の示現を表した所作と説明されています。
3. 九州国立博物館「志賀島に伝わる由緒深き舞」
ページ内の「志賀島に伝わる由緒深き舞」の項目です。阿曇磯良を呼び出すための神遊び、八乙女の舞、細男舞について説明されています。映像も掲載されています。
4. 行橋市史「二つの細男の舞」
安曇磯良が海中から現れて舞う伝承と、宇佐宮の放生会における細男舞の記録について読めます。
5. 文化庁「対馬の民俗芸能」関連調査資料
このPDFには、対馬に伝わった磯良舞の由来や伝承、府内八幡宮の放生会における磯良舞の記録が掲載されています。
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