福岡県みやこ町と大分県宇佐市に三つ巴紋の向きの記憶が残されていたのか。——豊前国分寺と法鏡寺・貴船神社

みやこ町 豊前国分寺 三つ巴紋(右・古)
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豊前国分寺で見た、左右の向きの三つ巴紋

福岡県みやこ町の豊前国分寺。

ここは聖武天皇の勅願によって全国に建てられた国立寺院で、創建当時は九州東北部の文化の中心だったと言われています。

みやこ町 豊前国分寺

この寺院の門の屋根をじっと見ていたら、三つ巴紋に気付きました。

みやこ町 豊前国分寺 三つ巴紋(左・新)

明治というわりにはピカピカ?屋根の装飾がまだ新しく見えました。

宇佐神宮と同じ、左三つ巴紋です。

しかしなぜ「明治」。

みやこ町 豊前国分寺 三つ巴紋(右・古)

では逆の屋根も同じかと思って眺めてみたら、なんだか先程より古びているような…。

よく見ると、逆向き。

右三つ巴紋でした。

同じく白鳳寺院跡近くの宇佐市・法鏡寺 貴船神社でも同様の現象

【宇佐市】法鏡寺・貴船神社で見つけた「菊」「右三つ巴紋」「鬼」「雲」

同じような現象は、宇佐市の法鏡寺・貴船神社でも見ることができました。

法鏡寺の近くにも白鳳寺院の跡があります。

その貴船神社でも、左右の三つ巴紋を見つけていたのです。

【宇佐市】法鏡寺・貴船神社で見つけた「菊」「右三つ巴紋」「鬼」「雲」「シャチホコ」

神社の隅に、鬼瓦・菊が刻まれた瓦・鯱などと隅に置かれていたなかに、右三つ巴紋が刻まれた瓦もありました。

【宇佐市】法鏡寺・貴船神社で見つけた「菊」「右三つ巴紋」「鬼」「雲」「シャチホコ」

そして左三つ巴紋が刻まれた、まだ新しそうな石灯籠も。

視覚的な伝言

なぜ、このような違いが、あえて目に見える形で残されているのでしょうか。

文字として記録に残すのではなく、瓦や石の形を変えることで、誰かが「何かが変えられたこと」を伝えようとしている。

そんな意図があるようにも感じられないでしょうか。

消したくない土地の記憶があったのでは。

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この記事を書いた人

ぶぜんノートのアバター ぶぜんノート フォトライター

豊のくにあと運営者。
福岡県と大分県の県境エリアで活動しているフォトライターです。
活動エリアは、北九州から東〜中津〜宇佐〜国東半島の北西部。
地域の古い痕跡を歩いて探し、歴史サイト「豊のくにあと」を運営しています。

古民家図書館TSUDURI主宰。
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