豊前国分寺と豊津神社の後は、気になっていた「稲荷神社」へ。


宇佐市の法鏡寺貴船神社や、下拝田貴船神社では多くのキーワードを見つけていました。
二つの神社の共通点は、白鳳時代の寺院跡のすぐそばだったことです。
そのことから、豊前国分寺エリアも同様に、何か見つかるのではないかと思っていました。
違和感を感じたのは、なぜ「稲荷神社」とだけしか情報が無いのだろうということ。
これまで稲荷神社といえば、重要そうな場所には、小倉北区の瘡守稲荷神社などのように「〜稲荷神社」と表記されていました。

単に「稲荷神社」とは珍しい。
これは右三つ巴紋と遭遇した時に感じた違和感と同じものです。
稲荷神社へ

歩いて稲荷神社へ。
気持ちがよい道です。

振り返ると、三重塔も、よく見えます。

住宅街のなかを通って稲荷神社へ。
不思議と赤い鳥居がありません。

扁額には「稲荷神社」。

広い境内です。
GoogleMapで画像を見たときは、もっと小さな神社かと思っていました。

こちらは扁額なしです。
なぜでしょう。あえてなのか。

時代を感じる春日燈籠。
稲荷神社なのに春日燈籠?

社殿がありました。
宮地獄神社と書かれていた額を発見

社殿のなかをのぞくと、驚くことに「宮地獄神社」と書かれた額がありました。
この稲荷神社は、宮地獄神社でもあったのですね。
AIに尋ねてみると、「稲荷神社は江戸時代に商売繁昌のために勧請されることがあり、地主神に上書きされるケースもある」という回答でした。
歴史の専門家ではない自分には、それが本当かは判別できませんが、小倉北区セントシティの瘡守稲荷神社と宮地獄神社の関係がまさにそれではないかと思いました。

宮地獄神社は安曇族の神社であり、安曇族の祖先は「安曇磯良」です。そしてその末裔は「つくしの磐井」。


稲荷神社とは違う場所、社殿に近いところには宮地獄神社の鳥居もありました。
気になる向き。
そもそも宮地獄神社の属性といえば「海」。
そして稲荷神社の属性は「食べ物」…ということは「水」から生まれるものとされています。

海と水でつながりますね。
気になる宮地獄神社
「九州の王が磐井であり、磐井の祖先が安曇磯良である」
「光の道」で有名な、福津の宮地獄神社の情報を考えると、宮地獄神社には要注目です。
ざっと調べると九州に集中しているようでした。
これだけでも、地図にまとめていくうちに気になった場所がいくつもありました。
たとえば、小倉北区セントシティの建物ができる前にあったという宮地獄神社。
中津城の周りには二社の宮地獄神社。
一社は中津祇園に関わる「八幡大江神社」に合祀されていました。
宇佐市院内、龍岩寺近くの宮地獄神社。
平氏と関わりがあるエリアです。(平氏との関連も気になっています)
ほかにも、この豊津の稲荷神社のように、名前がネット上に出ていない宮地獄神社もあるかもしれません。
おわりに。神社の場所がヒントになる
ここ数年、史跡を巡って得てきた情報から、様々なことが浮かび上がってきたように思いますが、たとえ神社名や御祭神が変えられていたとしても、神社の場所や、ロケーションは変えられないということが分かってきました。
神社誌や由緒書きなど、場所の移動があった場合は、情報はまだ得やすいです。
それに湧き水が出るとか、池や川、湖、海の近くであるとか、山の麓・山頂、どんな山が見えるか。
歴史に詳しくなくても、現地に立ってみると、意外に多くの情報を得られました。
字がない時代から存在した多くの神社。
そこにあるだけで多くのことを伝えてくれますね。
守ってきた人たちは、すごいものを残してくれました。

これは菊だと思っていたんですが、蓮華紋の可能性が出てきました。

祓川沿い、行橋市の今井熊野神社でも同じものを見ましたね。

豊津 稲荷神社・宮地獄神社の場所
〒824-0121 福岡県京都郡みやこ町豊津445



