中津祇園で見つけた蛭子宮と「中津四社」の存在
先日、初めて中津祇園を見に行くことができました。

まつりについて詳しくありませんが、「朝車」の日でした。

風情ある朝の町をゆっくりと動く踊り車。

ふと、小さな鳥居が目に入りました。
祇園車が通る道の脇の「諸町蛭子宮」

ここは「諸町蛭子宮(もろまちえびすぐう)」。
諸町蛭子宮
中津城の二代目藩主細川忠興公(三斎)は民心安定のため領内各地の社寺整備を行ないました。
諸町蛭子宮は元和二年(一六一六年)に忠興公によってこの地に創建されました。
古くからの言い伝えによると神のお告げに従い中津三百間浜に打ち上げられたご神体の石を牛にのせ、中津の町内をひきまわしたところ、諸町の現在地で牛が急に動かなくなったため、この地を蛭子宮の地と定めたということです。
ご祭神の八重事代主神は福徳開運、商売繁昌の神さまで藩主をはじめ人の信仰を一身に集めました。
はじめは菊池氏(室屋)一族の氏神さまとしてスタートしましたが、現在は町内みんなの氏神さまとして親しまれています。
十一月中旬の冬祭りには町内総出で客籠りを行ない翌日は路上で神迎えの大神楽が行なわれます。また、赤鬼青鬼たちの大鬼杖から打出される餅やみかんの奪い合いは勇壮で初冬の風物詩としても有名です。
菊池和靖氏 所有
嶋 道夫氏 調べ
平田和男氏 調べ
寄贈 有限会社 パワーサイン
蛭子宮(えびすぐう)なのに、御祭神は八重事代主…不思議ですね。
調べてみると諸町蛭子宮から、そう離れていない場所にも蛭子宮がありました。
住所はありませんが、寺町の合元寺エリアです。
合元寺近くの蛭子宮の御祭神は
おいべっさん
魚町の蛭子宮
魚町の蛭子宮は江戸時代に若松港の蛭子宮の御分霊を勧請したと伝えられ、 祭典は十二月三日にとり行われます。西の博多と言われた豊前中津の城下町にふさわしく商売繁昌の神として又 家内安全の神として魚町を始め、魚の辻 ・中津城周辺の人々の信仰厚く現在に至っております。明治・大正時代には祭りも盛大で大いににぎわいました。福の神にあやかり城下寺町散策コース の出発点として御参拝の上散策におでかけ下さい。
神社総代
蛭子宮の看板画像から引用
寺町側の蛭子宮は、福岡県北九州市の若松港の蛭子宮の御分霊を勧請したと伝えられているようです。
若松港の蛭子宮とはおそらく若松恵比須神社ではないでしょうか。
「おえべっさん」「おいべっさん」はおそらく同じ呼び名と思います。
大変歴史が古い神社です。
諸町蛭子宮から知った「中津四社」の存在
Webサイト「村の鎮守のドットコム」の諸町蛭子宮のページには「(中津市史刊行会 編『中津市史(1966)』)元和二年細川忠興の創建。以来中津藩の祈願所であり、築上郡吉富の古表社、大江社、闇無浜神社を合して中津四社と呼ばれる」と記載されていました。
元和二年は1616年、徳川秀忠の時代です。
諸町蛭子宮は、中津藩の祈願所でり、築城郡吉富の古表社、大江社、闇無浜神社と合わせて「中津四社」と呼ばれていたようです。

闇無浜神社は中津祇園の下祇園の祭礼が行われる神社です。

中津祇園の上祇園の祭礼が行われているのは現在、中津城の中津神社ですが、元々は大江八幡神社の祭礼だったそうです。
そして諸町蛭子宮、吉富町の古表社。
吉富町の古表社といえば「八幡古表神社」のことでしょう。
八幡古表神社は、神功皇后や宇佐八幡宮と関わり、「細男舞」「神相撲」がよく知られている歴史の古い神社です。

私は以前、元奈多八幡宮の宮司さんが書かれた本「宇佐神と安岐郷奈多宮」で、住吉神が安曇磯良であるという情報を知りました。
吉富町の情報は「中津三社」として龍王社・六所宮・古表社の記録
そしてさらに調べていくと、興味深い情報が見つかりました。
「中津三社」です。
吉富町のWebサイトに、「八幡古表神社の再興」というページがありました。
欽明天皇の時代、玉手翁(たまてのおきな)が雲上の神女を拝し、神の告げによって始まったとされる八幡古表神社は、息長帯比売が三韓出兵の後、地域の守護のために海辺の石上に降臨したと伝えられていたそうです。
そして当初は田川の銅鏡を神体として祠を建て、「気長大神宮」と呼ばれていたとも。
また古来より中津領では「龍王社」「六所宮」「古表社」をあわせて中津三社と呼び、藩主の祈願所として重んじられていたことが書かれていました。
ここで、中津四社と中津三社を比較してみます。
古表社以外の二社に注目して。
龍王社=現在の「闇無浜神社」
龍王社は闇無浜神社と考えてよいと思いました。
公式サイトを拝見したところ「龍王宮」とも呼ばれていたことが確認できました。
六所宮=大江八幡神社に合祀後、中津神社
六所宮について調べてみると、明和8年(1771年)に大江八幡神社に六所宮が合祀されたという情報を「NPO法人中津地方文化研究所の公式サイト」で見つけました。
その後、明治13年(1880年)には大江八幡宮の御分霊や六所宮などを合祀し、中津神社が中津公園地に鎮座することになったとも。
表で整理
| 中津四社 | 闇無浜神社 | 大江社 | 古表社 | 諸町蛭子宮 |
| 中津三社 | 龍王社 | 中津神社(六所宮と大江八幡宮の御分霊が合祀) | 古表社 |
中津側から見た「中津四社」、吉富側から見た「中津三社」を整理してみました。
この違いに意味があるかどうかは、判断がつきませんが。
中津祇園の通り道に鬼瓦と右三つ巴紋

今回中津祇園を初めて見に行って、祇園車について行くと、このサイトで追ってきた鬼(瓦)と右三つ巴紋に遭遇しました。
自性寺です。
こんな場所にこのように立派なお寺があることを、私は知りませんでした。
まだまだ調べなければならいことが、たくさんこのエリアにはありますね。
専門家ではない自分には判断がつかないことばかりですが、まずは現地を歩いて、何があるかを見ていきたいと思います。



