豊前市「八屋祇園」の祖形は「中津祇園」にある

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最近改めて、豊前の神楽や・まつり・楽打ちについて調べ直しています。

そのなかで、市政50周年を記念して作られたという豊前市の冊子「ぶぜんの祭り」から、興味深い情報を見つけたので、このサイトでもお伝えしたいと思います。

それは豊前市の「八屋祇園」の祖形が「中津祇園」であるという情報です。

さて、八屋祇園がどのような経緯で成立したかその詳細は不明であるが、少なくともその祖形となったのは中津祇園であることは間違いない。一方、宇島祇園はその成立が明らかであるが、 ここでも中津祇園がその発展に大きな影響を与えている。その中津祇園の起源は古く、闇無浜神社の前身である「豊日別宮(とよひわけぐう) 」の祭礼に始まるといわれ、弘安六年(一二八三)にはすでにその祖形が見られるとも言われる。

「ぶぜんの祭り」から引用

豊前市の八屋祇園の祖形である中津祇園の起源は、現・闇無浜神社の前身である「豊日別宮(とよひわけぐう)」の祭礼に始まるといわれているようです。

その闇無浜神社の御祭神は元々「安曇磯良」であると、以前、古い下毛郡誌で確認しました。

また、中津祇園は「上祇園」と「下祇園」が合わさったまつりです。

下祇園の拠点神社は闇無浜神社で、上祇園の拠点神社は中津神社ですが、元々は大江八幡神社が拠点神社だったようです。

豊前市の八屋祇園は、豊前市吉木の貴船神社、そして乙女八幡神社から始まります。

貴船神社の御祭神といえば龍神、八幡神といえば宇佐神宮。

そういった「点」を眺めていると、どうも「海」「龍神」「安曇磯良」「宇佐神宮」というキーワードが浮かび上がってくる。

もちろん、それから何が判断できるというわけではありませんが、点が集まっている。

そして、豊前市にはその点が、実はかなり残っているんじゃないか。

そんな印象を最近は持っています。

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福岡県と大分県の県境エリアで活動しているフォトライターです。
活動エリアは、北九州から東〜中津〜宇佐〜国東半島の北西部。
地域の古い痕跡を歩いて探し、歴史サイト「豊のくにあと」を運営しています。

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