阿蘇神社を歩いていて、不思議なことに気づきました。
本殿でもない。
楼門でもない。
私の目に留まったのは、その外側でした。
境内の縁をなぞるように歩いていくと、水神の碑があり、神陵碑があり、そして猿田彦の石祠がありました。
それぞれ由来も時代も異なるはずなのに、なぜか同じ境界線上に集まっているように見えたのです。

本殿とは違う方向を向く、水神・龍神の碑
最初に足を止めたのは、境内の外側の池の、更に奥に建つ石碑でした。

そこには、
「大??祖宇宙創造無相一元大本津神」
「群生霊惣代 大和?根龍神明王」
「大自然界惣代 大和洗根水神明王」
といった文字が刻まれていました。

詳しい由来は分かりません。
ただ、阿蘇という土地を考えると興味深かったのです。
阿蘇は巨大なカルデラを持ち、豊かな湧水に恵まれた場所です。
その土地で、水や龍神への祈りを思わせる石碑が、なぜか境内の中心ではなく外側に佇んでいる。
さらに気になったのは、その向きでした。
石碑は本殿とは異なる方向、真反対(東)を向いているように見えました。
なぜこの場所なのか。
なぜこの向きなのか。
答えは分かりません。
けれど、その違和感だけは確かに残りました。
並び立つ一之神陵と二之神陵
さらに歩くと、二つの神陵碑がそれぞれ離れた場所にありました。

ひとつは、
「一之神陵 健磐龍命」
阿蘇神社の主祭神として知られる神の名が刻まれていました。

少し離れた場所には
「二之神陵 阿蘇都媛命」
とありました。
主祭神とその妃神の名を持つ神陵碑が、そろって境内の外縁部に置かれていたのです。
これらがいつ、どのような経緯で建てられたものなのか、今回は詳しく調べ切れていません。
ただ、水神の碑と同じく、「外側」という場所にあることが気になりました。
境界に佇む猿田彦と、繰り返し現れる「猿」
さらに神社の外側、駐車場の境で視線を落とすと、小さな石祠群がありました。
仏像、石板、お地蔵様。
中央の石板は、長い年月によってか、文字はかなり摩耗していました。

肉眼では判読が難しかったのですが、撮影した写真の明暗を調整してみると、「猿田彦大神」と読めるように見えました。

猿田彦は、道案内の神として知られます。
また、村の入口や道の分岐点など、境界と関わる場所に祀られることも多いです。
その石祠もまた、境内の外縁に寄り添うように据えられていました。
そして興味深かったのは、この周辺を歩いていると、なぜか「猿」が何度も現れることでした。
阿蘇神社を出て少し歩いた先の稲荷神社には、お酒を抱えた猿の石像がありました。


さらに阿蘇神社の境内にある山王社と庚申社では、それぞれ猿のぬいぐるみが供えられていた。


もちろん、これらをひとつの物語として結びつけることはできません。
ただ、外縁を歩きながら猿田彦を見つけ、その後も猿の姿が繰り返し目に入ってきました。
それはまるで、この場所に残された小さな記号のようにも思えました。
山王信仰では猿が神の使いとされ、庚申信仰でも猿は重要な存在として知られています。
それぞれ異なる信仰ですが、この場所には「猿」にまつわる祈りや記憶が、今も静かに残されているのかもしれません。
分からないまま、重なり合う点を見つめる
本殿とは違う方向を向く水神・龍神の碑。
健磐龍命と阿蘇都媛命の神陵碑。
そして猿田彦の石祠。
それぞれの成立年代も背景も異なるはずなのに、なぜか同じ境界線上に並んでいるように見えました。
もちろん、それが偶然なのかもしれません。
後世の配置変更の結果なのかもしれません。
けれど現地を歩いていると、どうしても気になってしまう。
神社の中心ではなく、その外側。
整えられた空間の縁に、何かが静かに集まっているように見えるのです。
今回見つけたのは答えではありません。
ただ、いくつかの点ではあります。
そして歴史は、ときに点と点が重なり始めたとき、思いがけない輪郭を見せてくれます。
なお、境内ではもうひとつ気になるものを見つけました。
菊紋にも、蓮華紋にも見える不思議な意匠でした。
それについては、また別の記事で記してみます。



