白村江の戦いの敗北以降、当時の日本列島には強い危機感があったと言われています。
巨大帝国・唐にどう向き合うのか。
バラバラだった地域勢力を、どう一つの国家としてまとめるのか。
その中で編纂されたのが「古事記」「日本書紀」でした。
そこには、単なる歴史書ではなく、「この国はどのような国なのか」という国家像そのものが描かれていたようにも見えます。
各地に残る古い神々や信仰は、完全に消えたわけではありません。

名前を変えたり、別の神と習合したりしながら、形を変えて残っている。
実際、豊前・宇佐・国東半島を歩くと、
- 牛頭天王から八坂神社へ
- 水神信仰と貴船神社
- 比咩神と宗像神
- 瀬織津姫とされる痕跡
- 片隅に置かれた「菊(蓮華紋)」「鬼瓦」「右三つ巴紋」
そうした「上書きの跡」のようなものが、今も各地に残っています。
そして明治維新の神仏分離は、その流れをさらに大きく進めました。
近代国家を急速に作る必要があった時代。
政府は、複雑だった地域信仰を整理し、国家神道という形へ統合していきます。
その結果、多くの神社や寺院で、祭神や社名が変更されたそうです。

これは単純な善悪ではなく、その時代の「国家を維持する」という切実な事情もあったのだと思います。
ただ、その一方で、古い信仰の痕跡は完全には消えませんでした。



むしろ、名前を変えながら、今も各地に残り続けているのではないかと思います。



