求菩提山の中興の祖「頼厳」が熊野で修行していたと伝える史料の存在

頼源供養塔
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久しぶりに読み直していた本「求菩提山 私の修験ロード」を読んで、以前写真を撮っていた石塔が「頼厳供養塔」であることが分かった。

頼厳は、行善の「開山の祖」に対して、「中興の祖」といわれている。

その本に、特に気になる記述があった。

それは、「最近、熊野でも修行していたころの史料が見つかったという」一文。

以前、歴史に詳しい方から、豊前神楽のルーツは英彦山修験道であり、英彦山に熊野の修験者が来ていたと聞いたことがある。

求菩提山は英彦山の「末山(分山)」として位置づけられ、深く関わっていたというが、頼厳が熊野で修行していたというのなら、熊野とこのエリアの関係は、相当古くからのものではないかと思った。

本に書かれていた史料は、求菩提資料館で見ることができるのだろうか。

また分かり次第追記したい。

目次

参考書籍

桟比呂子著 「求菩提山 私の修験ロード」p.72「頼厳供養塔」

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