中津市の蛎瀬八坂神社には、何度か足を運んでいます。
最初の目的は神楽でした。

境内で奉納される神楽を見て、その空気を味わい、写真を撮る。
あの頃は、それで十分でした。
けれども最近になって、同じ境内で、これまで見えていなかったものに気づきました。
石祠群の手前に立つ、小さな鳥居です。

私は長い間、「大江天満宮」と刻まれているのだと思い込んでいました。

ところが写真を見返してみると、どうも違います。
文字は「大江天富宮」と読めるように見えました。
「下毛郡誌」で出会った「天富命」
この鳥居が気になった理由があります。
少し前、「下毛郡誌」を読んでいて、大江八幡宮(八幡大江神社)の古い由緒に目が留まりました。
そこには、現在の八幡大江神社は、もともと「麻殖天富神社」と称していたと記されています。
由緒によれば、忌部氏の祖神である天富命が筑紫の豊国に麻を植えたことから、この地は「麻殖(おえ)」と呼ばれるようになり、嘉祥3年(850年)には神託によって「麻殖天富神社」が創建されました。
その後、中世に八幡神を合わせ祀るようになり、「大家八幡宮(大江八幡宮)」と呼ばれるようになったと伝えられています。
つまり、「大江」と「天富」は、この地域では古くから結び付いた名前だったことになります。
なぜ蛎瀬八坂神社に「大江天富宮」があるのだろう
だからこそ、蛎瀬八坂神社で見つけた「大江天富宮」の鳥居が気になりました。

もし判読が正しければ、なぜここに「天冨」の名が残っているのでしょう。
大江八幡神社との関係があるのでしょうか。
それとも、別の由来があるのでしょうか。
現時点では、まだ分かりません。
けれども、一つ確かなことがあります。
神楽を見に通っていた頃には、この鳥居は目に入っていませんでした。
中津祇園の「上祇園」のルーツを調べ、「下毛郡誌」を読み、大江八幡宮の歴史を知った今だからこそ、この小さな鳥居が「問い」を投げかけてくるようになったのです。

梅の花も、気になり始めた
もう一つ、最近になって気づいたことがあります。
蛎瀬八坂神社の本殿には、梅の花を思わせる彫刻が数多く見られます。


以前は意識していませんでしたが、「天富」の文字を見つけてから、この梅にも目が留まるようになりました。
もちろん、梅の彫刻だけで何かを結論づけることはできません。
けれども、こうした細部もまた、この神社が歩んできた時間を伝えているように感じます。
神楽がつないでいたもの
そして、記事を書きながら思い出しました。
大江八幡宮(八幡大江神社)もまた、神楽が奉納される神社です。
神楽をきっかけに足を運び、そこで土地の歴史に興味を持ち、古い文献を読み、再び神社を訪れる。
すると、以前は見えていなかったものが見えてくる。
フィールドワークとは、そういうものなのかもしれません。
「大江天冨宮」の鳥居が、大江八幡宮とどのような関係にあるのかは、まだ分かりません。
それでも、この小さな符号は、上祇園のルーツを探る旅の中で、新しい入口になりそうな気がしています。



