経津主命と武甕槌命、二柱の神の関係

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神社の情報を更新していると、瀬織津姫を祀る神社のなかに、経津主命(ふつぬしのみこと)の名前を見かけることがあります。

経津主命といえば、千葉県の香取神宮の御祭神です。

一方、茨城県の鹿島神宮に祀られているのは、武甕槌命(たけみかづちのみこと)。

この二柱は、どちらも武神として知られ、出雲の国譲り神話にも登場します。

調べていくと、経津主命と武甕槌命を同じ神とする説や、もともとは一柱の神だったものが、後に二柱に分かれたとする考え方もあるようです。

では、二柱はどのような関係にあるのでしょうか。

目次

『古事記』と『日本書紀』で異なる国譲りの神話

まず、二柱の名前が登場する国譲り神話を見てみます。

『古事記』では、天照大御神の命を受けて出雲に遣わされたのは、建御雷神(たけみかづちのかみ)と天鳥船神です。

建御雷神は大国主神のもとを訪れ、国を譲るように求めます。その後、大国主神の子である建御名方神との力比べにも勝ち、国譲りが進められます。

ここでは、経津主命は国譲りの使者として登場しません。

一方、『日本書紀』では、少し違う物語になっています。

天照大神が出雲に使者を送ることを決めた際、神々が推薦したのは経津主神でした。そこに武甕槌神も加わりたいと申し出て、二柱がともに出雲へ派遣されます。

二柱は稲佐の浜に降り立ち、大国主神に国を譲るよう求めました。

つまり、同じ国譲り神話でも、『古事記』では武甕槌命が中心となり、『日本書紀』では経津主命と武甕槌命の二柱が並んで登場します。

この違いは、二柱の関係を考えるうえで、最初に押さえておきたいところです。

経津主命と武甕槌命は、同じ神なのか

現在、香取神宮の御祭神は経津主大神、鹿島神宮の御祭神は武甕槌大神です。

それぞれ別の神社に祀られ、神名も異なります。

しかし、神話のなかで二柱が似た役割を担っていることから、その関係については古くからさまざまな考え方がありました。

國學院大學の神道文化学部による『神道事典』の解説では、経津主命と武甕槌命の関係について、もともと一柱だった神が後に分かれたとする見方や、経津主命の神格が武甕槌命に取り込まれていったとする考え方などが紹介されています。

また、経津主命は物部氏に関係する武神、武甕槌命は中臣氏に関係する神として、それぞれの氏族の祭祀との結びつきから説明されることもあります。

ただし、これらは神話や祭祀の成立過程を考えるための研究上の見解であり、二柱が同一の神であったと確定しているわけではありません。

刀剣と結びつく二柱

もうひとつ気になるのが、二柱と刀剣との関係です。

武甕槌命は、『古事記』では建布都神(たけふつのかみ)、豊布都神(とよふつのかみ)という別名でも記されています。

また、神武天皇の東征に際して、武甕槌命は自ら降臨する代わりに、布都御魂(ふつのみたま)という神剣を送り、天皇を助けたとされています。

一方、経津主命も刀剣と深い関係を持つ神として説明されています。

國學院大學の解説では、経津主命は神剣・布都御魂の神格化と見る説も紹介されています。

布都御魂は、石上神宮の御祭神としても知られる神剣です。

このように、武甕槌命、経津主命、布都御魂は、いずれも刀剣や武威と関わる神々として語られてきました。

ただし、名前に「フツ」という音が共通していることだけで、同一の神であると判断することはできません。

それぞれの神話や祭祀のなかで、どのような位置を占めてきたのかを見ていく必要がありそうです。

鹿島神宮と香取神宮、そして春日大社

二柱の関係は、神社の祭祀からも見ることができます。

鹿島神宮には武甕槌大神、香取神宮には経津主大神が祀られています。

そして奈良の春日大社には、第一殿に武甕槌命、第二殿に経津主命が祀られています。

春日大社の由緒によれば、武甕槌命は鹿島神宮から、経津主命は香取神宮から勧請された神です。

二柱は別々の神として祀られながら、同じ神社のなかにも並んで祀られているのです。

このことからも、二柱が近しい性格を持つ神として、古くから一緒に信仰されてきたことがうかがえます。

二柱の関係から見えてくること

今回調べてみて、経津主命と武甕槌命は、神話のなかでは別々の神として描かれながら、国譲りや刀剣、武神としての性格など、いくつもの共通点を持っていることがわかりました。

また、二柱の関係を考える際には、神話だけでなく、物部氏や中臣氏といった祭祀を担った氏族の存在も関係しているようです。

私が気になっているのは、こうした神々の関係が、各地の神社にどのように残されているのかということです。

瀬織津姫を祀る神社の情報を集めているなかで、経津主命の名前を何度か見かけました。

なぜ、そこに経津主命が祀られているのか。

その神社の由緒や、ほかに祀られている神々、地域との関係を調べていくと、また別のつながりが見えてくるかもしれません。

まずは、経津主命と武甕槌命。

同じ神と決めつけることはせず、二柱がどのように語られ、祀られてきたのかを、もう少し追ってみたいと思います。

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福岡県と大分県の県境エリアで活動しているフォトライターです。
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