大分県宇佐市安心院町に、妻垣神社があります。
宇佐神宮とも関わりの深い古社で、神武天皇の東征にまつわる伝承が残されています。
この神社について調べていると、ひとつ気になる人物の名に出会いました。
天種子命(あめのたねこのみこと)。
中臣氏の遠祖とされる人物です。
神武天皇と宇佐津媛
『日本書紀』神武天皇紀には、神武天皇が筑紫国の菟狭(宇佐)に至ったときの話が記されています。
そこには、菟狭国造の祖とされる菟狭津彦・菟狭津媛が登場します。
二人は菟狭川のほとりに一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)を造り、神武天皇をもてなしました。
そのとき、神武天皇は従臣の天種子命に、菟狭津媛を妻として与えたと記されています。
そして、この天種子命について、『日本書紀』は「中臣氏の遠祖」と記しています。
一方、『古事記』にも、宇佐津彦・宇佐津媛が足一騰宮を造り、神武天皇をもてなしたという話が登場します。
ただし、天種子命との婚姻については『日本書紀』に記された内容です。
妻垣神社に残る天種子命の伝承
妻垣神社の由緒にも、この話が伝えられています。
神社の境内には、天種子命を祀る種子山神社についての説明があります。
妻垣神社の公式サイトによると、天種子命は神武天皇から比咩大神(玉依姫命)を祀る足一騰宮の守護を命じられ、宇沙都比賣命を妻に迎えたとされています。
また、かつて種子山神社は共鑰山の入山口に鎮座し、足一騰宮の比咩大神を守っていたと伝えられています。
現在、その社は昭和中期の貯水池工事の際に行方不明となり、再建が望まれているとのことです。
妻垣神社の社名も、この婚姻の故事になぞらえたものと説明されています。
中臣氏、そして藤原氏へ
天種子命が祖先として記されている中臣氏は、古代に祭祀を担った氏族です。
『日本書紀』や『古事記』にも、中臣氏の祖先に関わる伝承が残されています。
中臣氏からは、後に藤原鎌足が出ます。
鎌足は大化の改新で知られる人物で、天智天皇から藤原の姓を賜りました。その後、藤原氏は朝廷の中で大きな勢力を持つようになります。
つまり、妻垣神社に残る天種子命の伝承は、中臣氏の祖先伝承と、後の藤原氏につながる系譜に触れるものでもあります。
もちろん、神話や氏族の系譜を、そのまま歴史上の血縁関係として捉えることはできません。
それでも、宇佐・安心院の地に、中臣氏の遠祖とされる人物の伝承が残されていることは興味深く感じます。
豊前に残る氏族の記憶
豊前の神社を訪ねていると、祭神だけでなく、神社の由緒や土地に残る伝承の中に、さまざまな氏族の名前が現れます。
妻垣神社に残る天種子命も、そのひとつです。
宇佐の地で語られてきた神武天皇の伝承。
菟狭津媛との婚姻。
そして、中臣氏の遠祖とされる天種子命。
これらが妻垣神社の由緒として、今も伝えられています。
豊前の地に残る、古い氏族の記憶。
もう少し、この地域の神社を訪ねながら見ていきたいと思います。
参考記事・資料
1. 妻垣神社|由緒
- 神武天皇の東征、足一騰宮、比咩大神(玉依姫)、天種子命についての神社公式の由緒。
- 天種子命と宇佐津媛の伝承、種子山神社について。公式サイト内の関連案内も確認できます。
3. 神社本庁|妻垣神社
- 妻垣神社の祭神、創建、宇佐宮八ケ社の一社であったことなど。


