神社や寺院を巡っていると、屋根瓦や彫刻、建物の装飾などに、菊の花のような意匠を見かけることがあります。
豊のくにあとで訪ねた馬城山伝乗寺にも、元寇の際に賜ったと伝わる菊の御紋が残されています。

菊といえば、現在では天皇家の紋章を思い浮かべる人も多いでしょう。
けれども、菊の花が最初から皇室と結びついていたわけではありません。
菊はいつ日本に伝わり、どのように広まり、いつから皇室の紋章として使われるようになったのでしょうか。
菊は中国から日本へ伝わった
菊は日本在来の植物ではありません。
国立歴史民俗博物館によると、遅くとも律令期には、ほかの文物とともに中国から日本へ伝わっていたと考えられています。
平安時代には、すでに宮廷で菊花の宴が行われていました。
菊は花を楽しむだけでなく、長寿や不老不死とも結びついた植物でした。
中国では、重陽の節句に菊酒を飲む習慣があり、菊は延命長寿を願う花として尊ばれていました。
そうした文化も、日本に伝わっていったと考えられます。
平安時代には、すでに菊の意匠があった
菊は宮廷の行事や和歌に登場するだけでなく、衣服や調度品などの文様にも使われるようになりました。
平安時代には、菊を鑑賞する文化が宮廷に根づいています。
花を愛で、歌に詠み、宴を催す。
そうした文化の中で、菊は高貴な花として扱われるようになっていきました。
つまり、菊の意匠が皇室の紋章として使われるより前から、菊はすでに宮廷文化の中に存在していたのです。
後鳥羽上皇と菊の御紋
菊の意匠が皇室の紋章と結びつくきっかけとなったのが、鎌倉時代初期の後鳥羽上皇です。
後鳥羽上皇は菊の花をことのほか好み、衣服や刀剣、車や輿などに菊花や菊唐草の文様を用いたとされています。
その後、後深草天皇、亀山天皇、後宇多天皇らにも受け継がれ、天皇や上皇が用いる文様として定着していきました。
こうして菊花紋は、次第に皇室を象徴するものになっていきます。
ただし、この時点で現在の十六花弁の菊紋が、すでに厳密に定められていたわけではありません。
皇室から菊紋を賜った武家や、菊紋を用いた神社仏閣などもあり、花弁の数や形にはさまざまなものがありました。
現在の菊の御紋の形になるまで
現在、天皇の紋章として知られているのは、十六葉八重表菊です。
けれども、菊花紋の形が現在のように厳密に定められたのは、後鳥羽上皇の時代からずっと後のことでした。
明治時代には皇室の紋章としての取り扱いが整えられ、さらに大正15年(1926年)の皇室儀制令によって、内廷皇族の紋は「十六葉八重表菊形」、各宮家の紋は「十四葉一重裏菊形」と定められました。
現在よく知られている菊の御紋は、長い時間をかけて受け継がれ、近代に形が明確に定められたものなのです。
皇室の紋章になる前の菊
ここまで見てきたように、菊は中国から伝わり、平安時代には宮廷文化の中に根づいていました。
そして鎌倉時代、後鳥羽上皇が好んで用いたことをきっかけに、皇室を象徴する文様として受け継がれていきます。
では、それより前の時代はどうだったのでしょうか。
菊が日本に伝わる前から、菊の花が日本の神社や祭祀の中で特別な意味を持っていたと確認できるわけではありません。
また、古い建物や神社に菊のような花の意匠があったとしても、それが現在の皇室の菊紋と同じ意味で用いられたとは限りません。
花をかたどった意匠には、実際の植物を表したものもあれば、装飾として図案化されたものもあります。
豊のくにあとで見かける菊のような花の意匠も、まずはその形がどのような場所に残され、どのように伝わってきたのかを見ていきたいと思います。
皇室の紋章として知られる菊。
その意匠が使われてきた時間は、後鳥羽上皇の時代だけで語れるものではありません。
ひとつの花の形にも、時代ごとに異なる文化や意味が重なっているのかもしれません。
参考記事・資料
1. 国立歴史民俗博物館「家紋と植物」
菊が中国から伝わったこと、後鳥羽上皇が菊花紋を愛用したこと、皇室の菊紋について解説しています。
くらしの植物苑だより No.21|家紋と植物
2. 国立国会図書館サーチ「菊」
菊の日本での栽培記録や、皇室の紋章になるまでの歴史を簡潔にまとめています。
菊|ジャパンサーチ
3. 明治神宮「よくあるご質問」
後鳥羽上皇と菊紋の関係、皇室での使用について説明しています。
全て|Q&A|明治神宮
4. 国立国会図書館レファレンス協同データベース「天皇家の菊花紋の花弁について」
後鳥羽上皇の時代から大正15年の皇室儀制令まで、菊紋の変遷を確認できます。
レファレンス事例詳細
5. nippon.com「菊:平安時代から愛されてきた秋の花」
菊の渡来、平安時代の宮廷文化、観賞用としての広がりを読むのに適しています。
菊:平安時代から愛されてきた秋の花
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