豊前から国東半島、そして日田へ続く山々を歩いていると、不思議な感覚を覚えることがあります。
山の中で見つけた水が、やがて川となり、海へ流れていく。
その流れを何度も見ているうちに、古代の人々にとって「山」と「海」は、今ほど切り離された場所ではなかったのではないかと思うようになりました。
山に降った雨が、谷を下り、平野を潤し、海へ出る。
その循環の中で、山の神と海の神もまた、どこかで繋がっていたのではないでしょうか。
豊津神社に残る「混ざった痕跡」
そのことを強く感じた場所の一つが、みやこ町の豊津神社でした。

現在は「豊津神社」という名で登録されていますが、現地の鳥居には「山神宮」の扁額が掲げられていました。

さらに境内の片隅には、古い石板や石造物が集められていました。
そこには、


大日如来
三宝荒神
白龍権現
水神
正八幡
などの名が並び、そのすぐ隣には小さな貴船神社もありました。
火を思わせる荒神。
龍や水神。
そして山を象徴する「山神宮」。
それらが同じ空間に存在していたことは、この土地の信仰が、単純に「山の神」「水の神」と分かれていなかったことを感じさせました。
山の中に現れる「海」の痕跡
さらに山間部を歩くと、海から遠く離れた場所に、「海」を思わせる名を持つ神社が現れます。
耶馬渓の岩窟沿いに建つ宮地獄神社。
日田盆地にある宮地獄神社。
山間部に点在する海神社。
そして国東半島・無動寺の身濯神社に祀られた住吉三神。
なぜ海に関わる神々が、山の奥にいるのか。
もちろん、後世の勧請という説明もできます。
しかし実際に現地を歩くと、それだけでは片付けにくい「配置の感覚」が残ります。
海から川を遡り、山へ入っていく。
そうした人々の移動や信仰の痕跡が、地名や祭祀の中に残っているようにも見えました。
山から海へ向かう神事
宇佐神宮の祭祀にも、山と海を結ぶ動きが残っています。
比売大神が降臨したとされる御許山。
そして海へ開かれた和間海岸。
神輿は山を出て、川を下り、海へ向かいます。
山にいる時は水源の神。
海へ出る時は航海や海上の神。
そうした性格の変化を思わせる動線が、この地域の祭祀には残されているようでした。
地形の中に残る古い感覚
数年間この地域を歩き、自分の目で見たものを地図の上に並べてみました。
山の上の池。
境内に残る水神の石板。
山奥の宮地獄神社。
龍神信仰。
海へ向かう神事。
それらを見比べていると、この土地の人々は、山と海を別々の場所としてではなく、一つの水の循環として見ていたのではないか——そんな感覚が、浮かび上がってきます。



